トルエン生産42%減・出荷67%減と
覚書後の局面転換|粘着テープ・シンナー・
印刷インキの供給目詰まり構造【2026年4〜6月】
2026年4月の純トルエン出荷2万3188トン(前年比67.3%減)・在庫率891%、4月輸入893万kg(年実績2.9倍)で中国77倍・米国31倍。6/14イスラマバード覚書合意・6/25アジアナフサ627ドル/t(衝突前下回る)・6/23アスクル直販開始で局面転換。三菱総研は「対立の一時停止、60日後への先送り」と評価。
- 6月3日:政府がシンナー原料(トルエン等)を例年比最大1.8倍まで拡大する追加供給スキームを発表
- 6月14日:米イラン両国が14項目「イスラマバード覚書」に合意(仲介国パキスタン)
- 6月17日:G7サミット会期中にトランプ大統領・ペゼシュキアン大統領らがデジタル署名で正式発効
- 6月19日:日本向けなどタンカー6隻ホルムズ通過、原油4%安で衝突前水準に近づく(日本経済新聞)
- 6月23日:政府公認のアスクル直販ルート開始(1缶税込13,500円・16L缶・初期720缶/千葉県柏市発送)
- 6月25日:アジアナフサ価格1トン627ドルと衝突前水準632ドル/tを下回る(日本経済新聞)
- 三菱総合研究所(6/19):本覚書を「対立の一時停止、本質は60日後への先送り」と慎重評価。8月中旬の最終合意成否がトルエン入手の中期トレンドを決める構図
→ 上記の詳細はSTEP 07でエビデンスベースに展開。トルエン正常化4段階タイムラインも収録。
なぜトルエンが不足するのか――ナフサ分解との連産構造
トルエンは原油を精製して得られるナフサを原料とし、石油精製所の「接触改質(リフォーミング)工程」と石化プラントの「ナフサ分解(クラッキング)工程」の2つのルートで生産されるBTX(ベンゼン・トルエン・キシレン)の一翼を担う。いずれの工程もナフサを熱分解・改質することで得られる連産品であり、ナフサの投入量が減れば自動的にトルエンの生産も落ちる構造を持つ。「能力余力だけでは増産しにくい」と石油化学工業協会(石化協)が指摘するゆえんである。
2026年2月28日の米国・イスラエルによるイラン攻撃を契機に、ホルムズ海峡の事実上の封鎖が続いた。日本はナフサ輸入量の約73〜76%を中東経由に依存し、国内ナフサ在庫は平時わずか約20日分。2026年3月以降、三菱ケミカルグループ・三井化学・旭化成・住友化学など国内エチレン設備12基のうち6基が減産に踏み切り、石化協のエチレン稼働率は採算ラインとされる90%を大きく下回る水準が続いた(4月稼働率68.6%は統計開始以来最低)。この上流の稼働制約がBTX全体の生産を圧迫し、純トルエンにも直撃した。
| 指標 | 2025年3月 | 2025年4月 | 2026年3月 | 2026年4月 | 前年同月比 |
|---|---|---|---|---|---|
| 純トルエン生産量 | 87,334 t | 102,811 t | 74,099 t | 59,093 t | ▲42.5% |
| 純トルエン出荷量(IIP) | — | 約71,000 t* | — | 23,188 t | ▲67.3% |
| トルエン輸入量(貿易統計) | — | 約25万kg/月* | — | 8,931 t | +2,937% |
| 輸出量 | — | — | — | 0 t | ▲100% |
| 在庫率 | — | — | — | 891% | 在庫量+27.3% |
数字が示す構造的矛盾は鮮明だ。生産量の落ち込み率(42.5%)よりも出荷量の落ち込み率(67.3%)が大幅に大きい。その差額は在庫として積み上がり、在庫率は891%という異常値に達した。輸出はゼロになった。これは「物理的に存在するトルエンが、必要な取引先に必要な荷姿で届いていない」状態を示している。Logistics Todayの赤澤裕介編集長が指摘するように、「単なる需要減ではなく、必要な物を必要な相手に必要な形で届ける供給網の調整機能が弱っている」のだ。
「目詰まり」の正体――川中の自衛的出荷制限が流通を止めた
政府は当初、「石油化学メーカーの国内向けトルエン・キシレン供給は前年実績並みに継続されている」と繰り返し強調した。しかし現場では4月初旬から建設塗装業者を中心に「問屋に行ってもない、建材屋に行ってもない」と悲鳴が上がり、防水工事業者が「このシンナーがないと仕事にならない」と訴える状況が続いていた。
経産省が特定した「目詰まり」の構造は次の通りだ。川上の石油化学メーカー・商社が「4月末まで前年実績並みに供給する、5月は未定」と塗料・シンナーメーカーに伝えたことを受け、川中の事業者は「5月以降の供給が途絶するかもしれない」というリスクを自衛的に4月出荷を半減させることで回避しようとした。この「5月は未定」という一言が連鎖反応を引き起こし、結果として川下の建設塗装業者や製造現場には「金を出しても買えない」状態が発生した。物理的な欠乏ではなく、将来不確実性への過剰反応が流通を止めた構造的問題だ。
2026年4月13日、経済産業省製造産業局の伊吹英明局長名義で「トルエン等を原料とするシンナーを含む溶剤等の安定供給確保に向けた御協力について」の要請文書が溶剤等関係事業者全般に発出された。翌4月14日、赤澤亮正経済産業大臣が閣議後会見で「目詰まりは解消に向かう」と表明。川中の川上との情報共有・在庫の正常放出が進んだことで、5月以降は一部の供給経路で正常化が始まっている。しかし5月29日公表のIIP速報が示す4月の出荷量(2万3188トン、前年比67.3%減)は、目詰まりのピーク局面のデータとして記録されることになった。
中国77倍・米国31倍――財務省4月貿易統計が示す代替調達の現実
財務省が2026年5月28日に公表した4月の貿易統計(確報)は、日本企業がいかに緊急輸入でトルエン不足を補おうとしたかを明確に示している。4月のトルエン輸入量は893万キログラム(8931トン)で、2025年の年間輸入実績304万キログラムを単月で2.9倍上回った。中国からの輸入量は2025年平均比で77倍、米国からは31倍にそれぞれ急増した。
この急増の背景には、中国国内で過去数年に亘って新規製油所の立ち上がりが相次いだことによるトルエン生産能力の過剰があった。中国はかつてのトルエン輸入国から輸出国へと転じており、2026年のホルムズ危機が日本の緊急輸入を可能にする「余剰在庫の出口」として機能した。米国は自国産シェールオイル由来のナフサを精製した芳香族を安定供給できる立場にあり、輸出量を一気に拡大した。
| 輸入元 | 2025年平均(月) | 2026年4月 | 倍率 |
|---|---|---|---|
| 中国 | 約1.5万kg* | 約115万kg* | 約77倍 |
| 米国 | 約6万kg* | 約186万kg* | 約31倍 |
| 合計(全輸入源) | 約25万kg/月* | 893万kg | 約2,937%増 |
ただし輸入トルエンの増加が、国内生産の落ち込みを完全に埋め合わせているわけではない。輸入に要するリードタイム・港湾処理・タンクローリー配送の制約もあり、「トルエンが港に届いた」としても「工場の生産ラインにジャストタイムで届く」保証はない。また輸出がゼロになったことで国内在庫が積み上がる一方、在庫率891%という異常値は「川中が在庫を手放せない心理的ロック」が解消されていないことを示唆している。輸入量の増加と在庫率の膨張が同時進行するという矛盾した数字は、供給網の調整機能そのものが機能不全に陥っていることの証左だ。
業種別の目詰まり実態――粘着テープ・シンナー・印刷インキ・自動車補修塗料
トルエンの出荷が67%減に落ち込んだ影響は、川下の各業種で異なる形で顕在化している。以下に主要4業種の供給実態を整理する。なお、後述するように6月以降は局面転換が進み、シンナー分野では政府の1.8倍供給スキーム(6月3日)とアスクル直販ルート(6月23日)により回復が始まっている(→STEP 07)。
トルエン・キシレンはラッカーシンナー・ウレタンシンナーの主要溶剤成分。日本ペイントHD(3/19発注分から75%値上げ)・関西ペイント(4/13出荷分から50%以上値上げ・出荷統制)・エスケー化研(4月以降溶剤系20〜30%値上げ)と大手3社が異例の連鎖値上げに動き、建設現場では「問屋でも建材屋でも在庫がない」状態が4月中旬まで続いた。4月14日の政府目詰まり解消要請後、川中が在庫放出に動き5月以降は一部経路で正常化。6月3日にトルエン等のシンナー原料を例年比最大1.8倍まで拡大する追加スキーム、6月23日に卸を介さないアスクル直販ルート(1缶税込13,500円・16L缶)も開始(→STEP 07)。
段ボール封緘用のOPPテープ(二軸延伸ポリプロピレンフィルム基材)はアクリル系またはゴム系粘着剤を使用する。ゴム系粘着剤(天然ゴム・合成ゴムをトルエン等の芳香族溶剤で溶解)はトルエン依存度が特に高く、アクリル系より上昇率が大きい傾向がある。2026年3月18日時点でのOPPテープ139製品の価格調査では、標準品全体で前年比15〜30%程度の値上がりが記録された。粘着剤原料のスチレン系モノマーについても、DICが3月24日に+100円/kg値上げを発表しており、二重の原料高が粘着テープコストを押し上げている。覚書合意後のアジアナフサ価格下落(6/25:627ドル/t)の効果が粘着剤・粘着テープ価格に反映されるのは数ヶ月遅れと見込まれる。
従来のグラビア印刷は油性インキの溶剤としてトルエンを大量使用する。食品包装フィルム・ラミネート・軟包装向けのグラビア印刷工程ではトルエン系インキが業界標準であり、出荷67%減の局面では原料調達が極めて困難になった。三協化学(工業用有機溶剤メーカー)には印刷後の「洗い」用トルエンを代替品に切り替えたいという相談が殺到。版材・乾燥設備の制約から油性→水性インキへの即時代替は難しく、一部工場では生産ライン稼働率の低下が報告されている。覚書発効後の輸入トルエン安定化が進んでも、グラビア印刷業界では水性化・ノントルエン型インキへの構造的移行が並行して進む見通し。
自動車補修用塗料のシンナー(ラッカーシンナー・ウレタンシンナー)はトルエン・キシレン・MEKを主原料とする。国内の鈑金塗装業界では「材料がない異常事態」として業界紙が報じた。自動車整備・補修塗装の現場では塗装ガンの洗浄に用いるラッカーシンナーも入手困難になり、三協化学ではラッカーシンナー代替品として「ファインソルブNT」や「NTXエコシンナー」の問い合わせが急増。日車協連(自動車車体整備事業協同組合連合会)は異例の「オーナー向け声明」を発表し、塗料不足・コスト高騰について顧客理解を求めた。6月23日からのアスクル直販ルートは自動車整備事業者を主たる対象として設計されており、卸を介さずシンナーメーカーから直接調達できる経路として機能している。
在庫率891%の逆説――「在庫はある、だが届かない」の構造的脆弱性
トルエンの4月在庫量が前年同月比27.3%増となり在庫率が891%に膨張した事実は、供給危機の本質が「物理的な枯渇」ではなく「供給網の機能不全」であることを端的に示す。在庫は存在する。しかし必要な取引先・必要なタイミング・必要なグレード・必要なロット単位で届ける調整力が著しく低下した。
この構造的脆弱性の根源は3つある。第一に、トルエンが「連産品」であることだ。生産量は上流のナフサ投入量と改質・分解工程の稼働率に従属しており、トルエン単体の需要増減に応じて増減産する柔軟性がない。第二に、危険物(引火性液体)としてのトルエンは大量在庫を中間流通が保有することが難しく、流通の手持ち在庫が薄い。第三に、将来の供給見通しが不透明な局面では川中が「手元の在庫を放出したくない」という合理的な判断を下し、それが全体最適を損なうゲーム理論的な集合行動問題を起こす。
トルエンの生産量がナフサ分解・改質工程に連動する構造は、ホルムズ危機が長期化するほど下流各業種への圧力が続くことを意味する。Chem-Station(化学系情報サイト)の報告によれば、4月後半から汎用溶媒全般に出荷制限が拡大し、メタノールは2週間以上届かない、ヘキサン・アセトンも入荷見通しが立たないという状況も並行して発生していた。トルエン問題は「石油化学基礎原料の連産構造がいかに供給リスクを業種横断的に伝播させるか」を示すケーススタディとなっている。
2026年5月以降の需給見通しと購買担当者が取るべき対応
2026年5月29日時点での需給見通しは、国内生産回復のペースと輸入代替の定着度が鍵を握る。石化協の2026年4月生産・出荷実績に関するコメント(5月21日公表)によれば、「会員会社による継続的な中東以外の地域からのナフサの代替調達の確保が進み、従来は2割程度だった非中東産ナフサ比率が引き上がっている」。国産ナフサも一定量確保され影響緩和に寄与していると評価する一方、採算ラインを下回る稼働率の継続は否定できない。
財務省4月貿易統計では、エチレン輸入量も3115万kgと前年通年実績(3051万kgの単月換算)を上回った。プロピレン・ブタジエン・ベンゼンなど他のナフサ由来基礎化学品も同様に輸入が急増しており、化学産業全体が輸入代替を軸に稼働を維持しようとする構造が固まりつつある。6月以降の覚書合意による局面転換と政府追加対応については次のSTEP 07で詳述する。
| 対応区分 | 具体的アクション | ポイント |
|---|---|---|
| 在庫・調達 | トルエン系溶剤・シンナーの在庫水準を平時比1.5〜2か月分に引き上げる | 危険物保管申請・保管場所の確保が前提 |
| 代替品検討 | 水性塗料・粉体塗料・ノントルエン型洗浄剤・水性グラビアインキへの切り替え評価 | 品質試験・JIS適合性確認が必要。即時代替は難しい場合が多い |
| 調達先多元化 | 中国・韓国・台湾産トルエン系製品のサプライヤー評価・品質確認を先行実施 | 品質グレード・不純物規格を国内品と照合 |
| 情報収集 | 経産省「石油由来の化学品・製品等の供給に関する情報提供」窓口を活用 | 個別の調達困難は経産省窓口への報告で対応促進につながる |
| シンナー特例 | 国交省「燃料油や石油製品等の供給に関する相談窓口」経由でアスクル直販ルート利用申請 | 自動車整備業者・工務店等の事業者向け(6/23開始)。塗料用シンナー(トルエン・キシレン系芳香族溶剤含む)に限定、1缶税込13,500円・16L入り |
自動車補修塗装業・建設塗装業・グラビア印刷業・粘着テープ製造業の各購買担当者にとって、2026年後半の最大のリスクはナフサ調達の正常化が遅れた場合のトルエン生産低水準の継続だ。輸入代替が定着したとしても国内の分配効率が戻らない場合、在庫率の高止まりと現場不足という逆説的な状況が繰り返す可能性がある。サプライヤーとの情報共有強化、代替品の実地評価、調達先の多元化を今から進めることが中長期的なリスクヘッジとなる。
2026年6月の局面転換――イスラマバード覚書・1.8倍供給スキーム・アスクル直販
2026年6月、トルエン供給を取り巻く構造に3つの大きな転機が訪れた。①政府によるシンナー原料の1.8倍供給スキーム発表(6月3日)、②米イラン両国の14項目「イスラマバード覚書」合意(6月14日合意・6月17日G7署名)、③アスクル直販ルート開始(6月23日)である。本セクションでは、これらが純トルエン供給と業種別調達経路にどう作用するかをエビデンスベースで整理する。
7.1 6月3日:シンナー原料1.8倍供給スキーム
政府は2026年6月3日、シンナーの原料となるトルエン等の供給を最大で例年の1.8倍まで拡大する方針を発表した(毎日新聞 6月22日・日刊自動車新聞 6月19日)。これは4月13日の経産省局長要請による「目詰まり解消」段階から一歩進み、原料の物理的増産による出口対応に踏み込んだ施策である。石油化学メーカー・商社が国内分配を従来の前年実績並み水準を超えて拡大することで、川中の塗料・シンナーメーカーへの原料供給を実質的に底上げする狙い。これにより、輸入代替(中国77倍・米国31倍)と国内増産が二重に効く構造が整った。
7.2 6月14日:イスラマバード覚書合意とホルムズ通航正常化
2026年6月14日、米国とイランは14項目の枠組み合意「イスラマバード覚書」に到達した。約100日間に及ぶ戦闘の末、パキスタンの仲介(カタール・サウジアラビア・トルコ・エジプトも交渉を促進)により合意に至ったものである。6月17日にはフランス・エヴィアン=レ=バンで開催中のG7サミット最終日に、トランプ大統領・バンス副大統領、イランのペゼシュキアン大統領・ガリバフ国会議長らによってデジタル形式で正式署名された(CNN 2026年6月17日/セキュリティ対策Lab 2026年6月)。
覚書14項目のうち、トルエン供給に直接影響するのは以下の4項目である。
覚書合意後の市場の動きは速やかだった。日本経済新聞()は「日本向けなどタンカー6隻ホルムズ通過 原油4%安で衝突前水準近づく」と報じ、WTIは一時前週末比6%安の80ドル近辺(3月10日以来の安値)、Brentも83ドル台と4%下落、最高値(4月7日144.42ドル)から4割以上の下落となった。そして付日本経済新聞「ナフサ価格がアジアで下落、衝突前下回る 代替調達で供給懸念が後退」が報じたとおり、アジアナフサ価格は東京オープンスペック1トン627ドル(中心値)と、イランの軍事衝突前水準である1トン632ドルを下回り、4ヶ月ぶりの安値水準に到達した。3月のピーク約1,300ドル/tから5割以上の下落である。
7.3 6月23日:アスクル直販ルート開始――卸を介さない政府公認の「出口」
2026年6月19日、赤澤亮正経済産業相は閣議後会見で、シンナーメーカーから自動車整備事業者・工務店などの需要家へ塗料用シンナー(トルエン・キシレン系芳香族溶剤を含む)を直接販売する仕組みを新設し、から注文受付を開始すると発表した(日刊自動車新聞 2026年6月19日/毎日新聞 2026年6月22日)。直販物流は通販大手アスクル株式会社が担い、千葉県柏市の物流倉庫から発送される。
アスクル直販ルートは、6月3日に発表されたシンナー原料1.8倍供給スキームの「出口」として位置付けられる。原料増産が川中の卸段階で再び「目詰まり」を起こすリスクを回避し、政府承認のもとでメーカー→需要家を直結する設計だ。赤澤経産相は「玉が出てくることとあわせて、需給ひっ迫による価格上昇を抑制する効果も一定程度期待している」と述べた(日刊自動車新聞 2026年6月19日)。アスクル統括部長の宮下雄一氏は「過去にも需給のバランスが変動した時、流通業としてなすべきことをしてきた。一刻も早くお届けしたい」とコメント(毎日新聞 2026年6月22日)。
7.4 三菱総研の警鐘――「対立の一時停止、本質は60日後への先送り」
ただし、覚書合意を「危機収束」と単純に読むことはできない。三菱総合研究所は付の論評で、本覚書を「和平ではなく対立の一時停止、本質は60日後への先送り」と慎重に評価している。本覚書は完全な平和条約ではなく、今後60日間の最終合意に向けた交渉期間を設けるための暫定的枠組み(MoU)であり、8月中旬に最終合意の節目を迎えるまで、合意破綻リスクは継続する。また米欧石油メジャー首脳の見立てでは、ホルムズ海峡周辺の製油所・出荷設備の物理的被害は再稼働まで3〜5年を要するケースもあり、本格的な平時水準への完全復帰は2027年以降にずれ込む。
つまり、覚書発効後のアジアナフサ627ドル/t(衝突前下回る)という短期的な好材料と、8月中旬節目という中期的な不確実性を両睨みで見る必要がある。トルエンの購買担当者にとっては、①7〜8月の調達では覚書履行を前提とした価格下落シナリオと破綻時の急騰シナリオの両方をスライド条項で組み込む、②水性化・代替メーカー検証は8月中旬以降も継続する、③在庫バッファは2026年第4四半期まで通常より厚めに確保する、といった現実的対応が推奨される。
7.5 4段階の正常化シナリオ
STEP 05で論じた構造的要因(連産品制約・危険物保管・将来不確実性)は、覚書発効によって即座に解消されるものではない。原料市況の下落と国内増産が、トルエン卸価格・店頭流通・実勢価格に反映されるまでには明確な時間差がある。下表は、本記事が公的統計・業界紙の見通しを総合し、トルエン入手の正常化を4段階で示したものである。
| 段階 | 時期 | 進捗内容 | 購買担当者への含意 |
|---|---|---|---|
| 第1段階 原料調達ルート復活 |
2026年7月〜 | 覚書発効30日以内に米国海上封鎖解除・イラン機雷除去完了。ADNOCナフサ輸出がオマーンSTSルートからホルムズ直通へ復帰。赤澤大臣「7月にナフサ前年並み生産」表明。アジアナフサスポット価格は衝突前水準を下回って推移。 | 原料の物理的供給は7月以降回復に向かう。ただし国内トルエン価格・流通には即座に反映されない。 |
| 第2段階 卸価格の下落本格化 |
2026年下半期 (7〜12月) |
国産ナフサ価格スライド制により4〜6月期101,000円/klの影響が第3四半期(7〜9月)に反映される一方、新規調達分は10月以降下落基調へ。アスクル直販を通じた中小事業者への原料分配が定着。在庫率891%の解消が進む。 | 大手メーカー出荷統制の段階的解除が見込まれるが、卸価格は「公式値上げ後の高水準」で安定。値下げではなく「上げ止まり」が現実的解。 |
| 第3段階 店頭・実勢価格の正常化 |
2026年第4四半期 〜2027年第1四半期 |
流通在庫の入れ替えは通常6か月以上を要するため、店頭価格・新規受付・「一人1缶」制限の解除はこの時期から本格化。OPPテープも段階的に価格安定化。一方、グラビア印刷インキは水性化・ノントルエン型への構造移行が並行し、単純な原状回復には至らない見通し。 | 外壁塗装・印刷工程・粘着テープ調達の見積価格は2026年第4四半期から徐々に平準化。水性化・代替溶剤検証は継続が安全。 |
| 第4段階 高値定着「新常態」 |
2027年〜 | 製油所・出荷設備の物理的被害復旧は3〜5年、円安構造・物流2024年問題・脱炭素対応コスト・西日本エチレンJV等の構造再編コストが重畳。覚書最終合意(8月中旬節目)の成立可否次第で再リスクの可能性も残存。 | 過去25年でトルエン系製品が値下がりした事例はゼロ。価格は2026年2月以前の水準には戻らず、「新常態」での運営を前提とした調達計画・水性化標準化・原価転嫁戦略が必要。 |
2026年6月29日時点の認識として、覚書合意は「危機収束」ではなく「対立の一時停止」と「制度的出口の整備」の二重構造と捉えるべきだ。短期の楽観材料(627ドル/t・タンカー6隻・アスクル直販)と中期の不確実性(8月中旬節目・物理的復旧3〜5年)を両睨みで認識した調達戦略こそが、2026年下半期以降のトルエン需要家の生存戦略となる。
出典・エビデンス一覧
- 経済産業省 鉱工業指数(IIP)2026年4月速報(2026年5月29日公表)― 純トルエン出荷量2万3188トン・前年同月比67.3%減
https://www.meti.go.jp/statistics/tyo/iip/index.html - 石油化学工業協会(石化協)月報 ― 純トルエン生産量:2025年3月87,334t・2025年4月102,811t・2026年3月74,099t・2026年4月59,093t(前年同月比42.5%減)
https://www.jpca.or.jp/statistics/monthly/ - 石油化学工業協会「2026年4月の生産・出荷実績に関するコメント」(2026年5月21日)
https://www.jpca.or.jp/files/statistics/monthly/memo/202604_memo.pdf - 財務省 貿易統計確報(2026年5月28日公表)― 4月トルエン輸入量893万kg・2025年年間実績304万kgの2.9倍。中国77倍・米国31倍
https://www.customs.go.jp/toukei/shinbun/trade-st_j.htm - Bloomberg「ナフサ由来品かき集める日本、塗料溶剤は年間実績の3倍輸入-4月統計」(2026年5月28日)
https://www.bloomberg.com/jp/news/articles/2026-05-28/TFQ0LHT96OSL00 - Logistics Today「トルエン出荷7割減、供給網に機能不全」(2026年5月29日)― 在庫率891%・輸出ゼロの分析
https://www.logi-today.com/958275 - 日本経済新聞「ナフサ価格がアジアで下落、衝突前下回る 代替調達で供給懸念が後退」(2026年6月25日/東京オープンスペック1トン627ドル・衝突前水準632ドル下回る)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB224D10S6A620C2000000/ - 日本経済新聞「日本向けなどタンカー6隻ホルムズ通過 原油4%安で衝突前水準近づく」(2026年6月19日/WTI80ドル近辺・Brent83ドル台)
https://www.nikkei.com/ - 米国・イラン両政府「14項目覚書(イスラマバード覚書)」(2026年6月14日合意・6月17日G7サミットデジタル署名・6月18日正式発効)― 仲介国パキスタン
https://www.kantei.go.jp/ - CNN「米国、イランとの覚書14項目公表」(2026年6月17日)
https://edition.cnn.com/ - 三菱総合研究所「米イラン覚書合意は対立の一時停止、本質は60日後への先送り」(2026年6月19日)
https://www.mri.co.jp/ - 日刊自動車新聞「経産省、整備工場や工務店などへ塗料用シンナーの直接販売を6月23日に開始 アスクルが直接配送」(2026年6月19日/赤澤経産相会見)
https://www.seibikai.co.jp/archives/news/company-info/12214 - 毎日新聞「アスクルでシンナー直販 23日開始 工務店や自動車整備業を支援」(2026年6月22日/金子恭之国土交通相会見)
https://news.yahoo.co.jp/articles/87f41cb8e4e4ffa845721ce3f8a774af304d8af6 - 毎日新聞「直販シンナー、アスクル倉庫に到着『一刻も早く届けたい』」(2026年6月22日/千葉県柏市・720缶搬入・1缶税込13,500円)
https://news.yahoo.co.jp/articles/bea1c90f98a6995f4607f24fdd1f7d6df7922d64 - TBS NEWS DIG「塗料用シンナー直接販売ルート23日受付開始 卸を介さない新たな供給ルート」(2026年6月22日)
https://topics.smt.docomo.ne.jp/amp/article/tbs/business/tbs-2747762 - アスクル株式会社お知らせ「塗料用シンナーの直接販売開始のご案内」(2026年6月26日/国交省相談窓口経由フロー)
https://www.askul.co.jp/shopnews/news_260625_thinner.html - logistics-today「赤澤亮正経産大臣、ナフサ7月に前年並み生産量に戻る見通し表明」(2026年6月2日)
https://www.logi-today.com/ - TBSテレビ「報道特集」NHK関連・Cube NEWS「不足の声相次ぐシンナーや塗料 原因は『目詰まり』だけ?」(2026年5月放送)― 塗装職人・防水工事業者の証言
https://news.cube-soft.jp/article/4065484 - 経済産業省 赤澤亮正大臣 閣議後記者会見概要(2026年4月14日)― 「目詰まり解消に向かう」発言・川中の出荷半減事例の公式説明
https://www.meti.go.jp/speeches/kaiken/2026/20260414001.html - 経済産業省 製造産業局長・伊吹英明「溶剤等関係事業者への安定供給確保要請」(2026年4月13日付)
https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/material_industry/pdf/260413_youseibun.pdf - 日本経済新聞「塗装用シンナー調達難、メーカーに生産抑制避けるよう要請 経産省」(2026年4月14日)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA1446E0U6A410C2000000/ - 日刊自動車新聞・Yahoo!ニュース「赤澤経産相、シンナー供給『目詰まり解消に向かう』出荷半減していた塗料メーカーや卸業者に要請」(2026年4月14日)
https://news.yahoo.co.jp/articles/32cbe8e4c7267729406dec375932ada60dbaeea4 - 日本製薬団体連合会 日薬連発第295号「溶剤等の安定的な供給確保について(周知及び依頼)」(2026年4月15日)
https://www.toku-seiyakukyo.jp/data/drug_news/2026/1_1776222235985.pdf - 三協化学株式会社「イラン情勢悪化によるトルエン、キシレン、メタノール等の品薄と代替品を解説」(2026年3〜5月更新)
https://www.sankyo-chem.com/news/post-14944/ - 三協化学株式会社「イラン情勢による塗料用シンナー不足の原因と代替品を解説」(2026年5月更新)
https://www.sankyo-chem.com/news/post-15089/ - 日本ペイントHD 価格改定通知(2026年3月19日発注分から全シンナー類75%値上げ)
https://lushbooklife.com/news-of-nippon-paint-raises-prices-on-thinner-products/ - Chem-Station「2026年、過去最大規模の『有機溶媒危機』が始まった?」(2026年5月)― 汎用溶媒全般の出荷制限・アセトン3倍価格の実態報告
https://www.chem-station.com/blog/2026/05/solvent.html - カネコ化学公式ブログ「【2026年4月】中東情勢が洗浄剤の供給に及ぼす影響とは?」(2026年4月)
https://youkaizai.com/apps/note/middle-east-situation/ - プロトリオス「自動車補修用塗料の価格動向と戦争による供給危機の分析」(2026年3月)― 鈑金塗装業への波及・日車協連の対応
https://bsrweb.jp/article/117743 - プラスチックパレット株式会社「イラン情勢と梱包用・包装用テープ供給不足の現状」(2026年3月)― OPPテープ139製品価格調査(前年比15〜30%値上がり)
https://plastic-pallet.co.jp/iran-tape-crisis/ - プラスチックパレット株式会社「2026年シンナー・ショックの深層|イスラマバード覚書後のトルエン入手予想と高値定着の現実」(2026年4月初版・6月29日更新)
https://plastic-pallet.co.jp/iran_japan-eliminating-distribution-bottlenecks-for-paint-thinner/
本記事に関する注意事項
- 本記事は、2026年5月31日に初版公開後、2026年6月29日時点で公開されている公的統計・報道情報を反映して更新したものであり、市場状況はその後変動している可能性があります。最新情報は経済産業省・資源エネルギー庁・財務省・石油化学工業協会等の一次情報源をご確認ください。
- 本記事に記載された価格予測・正常化時期・在庫水準・輸入倍率等はあくまで執筆時点における推計・見解であり、実際の市場動向を保証するものではありません。特にイスラマバード覚書(2026年6月14日合意・6月17日G7署名)後の8月中旬最終合意節目およびSTEP 07.5の正常化4段階タイムラインは、覚書最終合意の成否により変動する可能性があります。
- 本記事で引用した統計データ(純トルエン生産量5万9093トン・出荷量2万3188トン・在庫率891%、4月輸入量893万kg、中国77倍・米国31倍、アジアナフサ627ドル/t、WTI80ドル近辺・Brent83ドル台、アスクル直販1缶13,500円・720缶等)は各時点の速報値・確報値・報道値に基づくものであり、確定値とは異なる場合があります。中国・米国の輸入倍率内訳は倍率からの推計値です。
- 本記事はトルエン・シンナー・粘着テープ・印刷インキ・自動車補修塗料市場に関する一般的な情報提供を目的としており、特定の事業判断・調達決定に対する推奨・保証を行うものではありません。実際の仕入れ・調達判断はお客様ご自身の責任においてご判断ください。
- 本記事は特定の政党・政治的立場を支持・批判する意図を持つものではありません。政策担当者・大臣・首相・両国首脳への言及はあくまで公表された会見内容・公式合意文書の報道的引用に基づくものです。本記事の内容を転載・引用される場合は、出典(プラスチックパレット株式会社 公式ブログ)を明記のうえご利用ください。