2026年病院経営の生存戦略
ナフサ・クライシスが招く医療資材危機・透析34万人と
2024年度赤字病院74.6%が直面する三重苦
〜薬価固定下で物資高騰を病院が吸収する構造の限界〜
2026年7月時点、2024年度の医業赤字病院は74.6%・経常赤字は65.6%(四病協最終報告)に到達。政府は透析資材の9月末まで供給確保(4月24日 上野厚労相発表)と独禁法疑義回答で対応し、大学病院508億円赤字(医薬品費14.4%増・材料費14.1%増)は改定+3.09%で一部補填。ただし薬価固定下で物資上昇分を病院が吸収する構造は残る。
①四病協最終報告(2025年11月26日)による2024年度医業赤字病院74.6%・経常赤字65.6%への更新(中間報告73.8%/63.6%から確定値へ)/②上野厚労相による9月末までの透析資材供給確保(4月24日)発表を反映/③2026年度診療報酬改定の詳細(物価対応料新設・2年度平均+3.09%)を反映/④ナフサ価格の反転局面(6/25にスポット価格が衝突前水準の$627/MTへ)/⑤第4回・第5回対策本部の議論内容/⑥血液透析機器の独禁法上の疑義回答(4月23日)/⑦2018→2024年経常赤字病院47.7%→81.5%の7年連続比較データ/⑧日医調査(令和6年度病院経常利益率▲2.6%)
2026年7月時点、病院経営を直撃する「構造的圧力」の現在地
2026年7月時点で、日本の病院経営は前代未聞の局面を迎えている。コロナ後の物価・人件費高騰を吸収しきれない経営状況の中で、中東情勢由来の「ナフサ・クライシス」という新たな構造的圧力が加わり、政府対応と経営実態の双方で状況が刻々と変化しているためである。
経営指標のベースラインを一言で示せば、2024年度時点で既に病院の4分の3が医業赤字という水準に到達している。四病協最終報告(2025年11月26日)と医学部長病院長会議のデータは、これらの数字が中東クライシス発生(2026年2月末)よりも前のものであることを明確にしている。つまり「クライシスの前から病院経営は既に限界に近かった」のである。詳細な数値と病院類型別の分析は第2章で扱う。
その上に乗りかかったのが、本シリーズの総論記事2026年中東クライシス:医薬品サプライチェーン断絶の全貌で扱った医薬品供給の不安と、ロイター(2026年3月27日)が報じた医療資材の出荷困難の可能性。透析患者34万人(日本透析医学会2024年末統計で33万7,414人)を支える透析回路や、手術用廃液容器の供給に4〜8月にかけて懸念が生じた。
これに対し、政府は迅速に対応してきた。厚生労働省と経済産業省は3月31日に「中東情勢の影響を受ける医薬品、医療機器、医療物資等の確保対策本部」を設置し、5月18日までに第5回まで開催。2026年4月24日には上野賢一郎厚労相が「9月末までの透析資材(ダイアライザー・注射針・洗浄剤等)の十分な供給を確保した」と発表した。ナフサ価格自体もアジア市場で反転し、6月25日には東京オープンスペックが1トン627ドル(中心値)となり、イラン軍事衝突前の1トン632ドルを下回った(日本経済新聞2026年6月25日)。
本稿は薬局経営編2026年薬局経営の生存戦略と対をなす、病院経営者・院長・事務長・SCM担当・薬剤部長向けの実務深掘り解説である。「価格上昇分を病院がどこまで吸収できるか」という構造課題は、政府対応が進んだ2026年7月時点でも本質的に解消していない。
2026年7月時点で、政府対応の進展により短期的な医療資材の物理的供給不安は大きく後退している。ナフサ価格も反転局面に入り、透析資材は9月末まで、ナフサ由来石油製品は年を越えて供給継続可能との政府認識が示されている。ただし、物価上昇分・仕入価格上昇分を薬価固定下で病院が吸収する構造は依然として残る。本稿は「物理的な資材危機」への対応から一歩進んで、「コスト構造課題への中長期対応」を主軸に置いた実務ガイドとして構成する。
医療資材ナフサ依存の全貌と2026年7月時点の供給状況
病院経営の構造を理解する第一歩は、「現代医療がいかに石油化学に依存しているか」を直視することにある。NRI(野村総合研究所)の木内登英氏が2026年4月3日コラムで指摘した通り、「医療品の多くは原油から得られるナフサを原料に製造されている」のである。
1.1 院内で使われる主要医療資材のナフサ依存マップ(2026年7月時点)
日経メディカル(2026年5月)や医療現場の声、公明党秋野公造政調会長の発言、オルタナ(社会派ビジネスメディア)等が整理する通り、病院内のディスポーザブル製品(使い捨て医療機器)の大半はナフサ由来の合成樹脂で作られている。初版(2026年6月5日)から2026年7月時点までの供給状況の変化を反映した最新マップを以下に示す。
| 医療資材 | 主原料 | 7月時点リスク | 2026年7月時点の状況(政府対応後) |
|---|---|---|---|
| 透析回路 | ポリ塩化ビニル(PVC)/ポリエチレン | 短期緩和 | 上野厚労相4月24日発表:9月末まで供給確保。10月以降は流動的。血液透析機器の独禁法疑義回答(4月23日)で緊急時融通体制も確立 |
| 手術用廃液容器 | ポリプロピレン(PP) | 要監視 | ロイター3月27日時点:国内シェア7割企業のタイ工場で4月半ば供給終了見込み。以降の代替調達状況は品目別に確認要 |
| 点滴バッグ・輸液チューブ | ポリエチレン(PE)/PVC | 要監視 | 厚労省「計画配送」対応対象。汎用品ゆえ代替調達余地あり。価格改定通知は複数社から発出 |
| 注射器(シリンジ) | ポリプロピレン(PP) | 要監視 | 3月中旬以降、複数の医療資材メーカーが出荷制限を実施。5月以降は在庫状況を見て段階的に緩和 |
| カテーテル | PVC/シリコン樹脂 | 要監視 | 専門医療機関での備蓄消費が早い品目。順次供給状況に注意 |
| 医療用手袋 | ポリエチレン/天然ゴム | 短期緩和 | 政府備蓄5,000万枚放出(4月16日)+5月14日追加放出。歯科診療所等への供給強化事務連絡(4月13日)も発出 |
| PTP包装(錠剤シート) | アルミ/ポリプロピレン | 要監視 | 医薬品包装段階で目詰まり発生。製薬メーカー側の制約要因。5月29日に調剤薬用容器の安定供給協力依頼が発出 |
| エチレンオキサイド滅菌ガス | エチレン | 要監視 | 医療器具滅菌に必須。エチレン国内稼働率は4月67.3%まで低下、6月時点で徐々に回復 |
1.2 「透析回路 vs 透析患者34万人」── 政府対応後の現状
最も切実だった透析医療について、状況は初版時点から前進している。日本透析医学会の統計調査報告書によれば、国内透析患者数は33万7,414人(2024年末時点、初版で参照した「約34万人」の正確値)。透析治療は週3回・1回4時間程度のセッションを生涯にわたり継続する必要があり、年間156回の透析を中断することは即「生命の危機」を意味する。
その透析治療を物理的に成立させるのが、ダイアライザー(人工腎臓)と透析回路(血液を体外で循環させるチューブ)である。透析回路は1回ごとに使い捨てとなるため、患者1人あたり年156本の透析回路が必要となる。33万7,414人 × 156本 ≒ 年間5,300万本のディスポーザブル品が消費される計算である。
当初、ロイター(2026年3月27日)は国内シェア5割企業のタイ・ベトナム工場でのナフサ供給難により「早いものでは8月ごろから国内への出荷が困難になる可能性」を報じたが、政府対応の進展により状況は前進した。2026年4月24日、上野賢一郎厚労相は「透析資材(ダイアライザー・注射針・洗浄剤等)について9月末までの十分な供給を確保した」と発表。これは経産省による中東域外からのナフサ調達拡大(5月需要の約60%・6月需要の約70%を代替調達でカバー)、備蓄放出、企業間連携等の複合施策の成果である。
さらに2026年4月23日、日本医療機器テクノロジー協会宛てに「血液透析機器の安定供給に向けた関係事業者間の連携に係る独占禁止法上の取扱いに関する疑義への回答」が発出され、緊急時のメーカー間融通が独占禁止法(以下、独禁法)上問題とならないことが明確化された。これは危機対応の重要な制度整備である。
東洋経済オンライン(2026年4月15日付「透析患者34万人に影響か」)は、医療機関側で長期間分の在庫を備蓄することは難しく、値上げの負担が最終的に医療機関に集中する構造を指摘している。透析医療は外来透析包括点数で運営されるため、医療資材費の上昇を診療報酬で吸収する余地が極めて限定的である。「9月末まで確保」の先、10月以降の見通しと価格転嫁不能の構造は、依然として病院経営の重要論点である。
透析回路・注射器・点滴バッグ等のディスポーザブル医療機器は、感染管理上再利用が不可能。無菌包装・有効期限の制約から長期備蓄も難しい(通常2〜4週間の在庫水準)。そして薬価・特定保険医療材料価格は公定価格で病院側が値上げできない。NRI木内登英氏(2026年4月3日)が指摘する通り、「医療品の価格が大幅に上がっても、それは診療報酬には直ぐに反映されず、医療機関の収益を圧迫してしまう」構造が、いま病院経営の実務課題となっている。政府の供給確保対応が進んでも、この構造課題は残る。
2024年度の病院経営実態 ── 最終報告で確定した数字
ナフサ・クライシスの影響を論じる前に、まず病院経営の「ベースライン」を確認する必要がある。中東クライシスの影響は、既に体力が落ちた病院経営に上乗せされる形で作用しているからである。
2.1 四病協 2025年11月26日最終報告:医業赤字74.6%・経常赤字65.6%
四病院団体協議会(日本病院会・全日本病院協会・日本医療法人協会・日本精神科病院協会)が2025年11月26日に取りまとめた最終報告では、2023年度から2024年度にかけて病院経営はさらに悪化し、医業赤字病院割合は74.6%、経常赤字病院割合は65.6%に到達した。これは初版(2026年6月5日)で参照した中間報告値(10月6日発表の73.8%/63.6%)から悪化して確定した数字である。
- 2018→2024年度の7年連続比較:コロナ関連補助金がなかった2018年度と2024年度を比較すると、経常赤字病院割合は47.7%→81.5%と33.8ポイント増加。100床あたり経常利益は▲12,716万円、医業利益は▲25,033万円で7年連続比較の最大赤字額
- 2024年6月→2025年6月の同月比較:医業赤字病院割合は64.9%→67.2%と2.3ポイント増加、経常赤字病院割合は57.2%→60.9%と3.7ポイント増加し、悪化継続
- 日病協・望月議長の提言:2026年度通常改定に続く2027年度の「期中改定」も視野に入れるべきと、業界団体が緊急提言(2025年12月)。この提言は2026年度改定に「2段階対応」として一部反映
2.2 大学病院 508億円赤字 ── 高度医療の財政基盤
高度医療を担う大学病院も同様に厳しい。医学部長病院長会議の発表によれば、2024年度に大学病院全体で508億円の経常赤字を計上した。
- 医薬品費:2022年度比で14.4%増。高額薬剤の登場・薬価維持品目の増加・後発品供給不安による高価格品代替が要因
- 診療材料費:2022年度比で14.1%増。本稿で扱う医療資材上昇の直接影響
- 収益との乖離:これらコスト増を上回る診療報酬収入の増加が得られず、コスト増分が直接赤字に転化
大学病院は高度急性期医療・教育研究・地域医療の中核である。その経営基盤が揺らぐことは、日本の医療提供体制全体の脆弱化を意味する。中東クライシスによる医薬品・医療資材の追加コスト圧力は、この基盤にさらに影響を及ぼす。
2.3 日医調査(2025年10月22日)が示す病院全体の悪化トレンド
日本医師会が2025年10月22日の定例記者会見で公表した令和7年病院緊急経営調査結果(令和5年度・6年度実態報告)でも、病院経営の悪化は明確である。病院全体の令和5年度の医業利益率は▲5.2%、令和6年度はさらに悪化して▲5.4%となり、経常利益率は▲0.6%から▲2.6%に大幅悪化した。経常利益の赤字額は前年度の4倍超の▲1億640万円となった。
- 開設主体別(令和6年度):公立病院は医業利益率▲14.7%→▲15.9%と悪化、医業赤字割合は公立96.6%・国立92.5%・医療法人63.9%と公私を問わず極めて厳しい状況
- 材料費:対前年度で4.8%増と最大の伸び。給与費+2.5%、委託費+3.9%、経費+4.1%
- コロナ関連補助金の激減:令和5年度の100床当たり3,393万円が令和6年度は119万円に急落し、経営悪化を加速
2.4 中医協・医療部会の現状認識と2026年度診療報酬改定
2025年10月29日の中医協総会では「医療機関を取り巻く状況について」が確認され、近年の物価高騰や賃金上昇により多くの医療機関で経営状況が悪化していることが公式に認識された。この現状認識に基づき、2026年度診療報酬改定は以下のような枠組みで確定した(2026年6月1日施行)。
- 診療報酬本体:+3.09%(2026・27年度の2年度平均)/2026年度+2.41%、2027年度+3.77%と「2段階対応」を初めて導入
- 物価対応料の新設:2026年度・27年度の物価上昇への段階的対応として基本診療料に併算可能な加算を新設。例:外来・在宅物価対応料 初診時2点(2027年度4点)、入院物価対応料 急性期一般入院料1で58点(2027年度倍増)
- 入院ベースアップ評価料の拡充:1-250点(2027年6月からは1-500点に拡充)で対象を「当該医療機関に勤務する職員」に拡大
- 2027年度期中改定:「2026→27年度と物価・人件費が高騰する点」を踏まえ、日病協・望月議長が提言していた期中改定的な運用が制度化
2026年度診療報酬本体+3.09%(2年度平均)のプラス改定は評価できるが、大半が医療従事者の賃上げ・物価対応に充てられ、純粋な経営余力の改善には限定的と業界団体は指摘している。中東クライシスによる追加コストを吸収するバッファは、制度的にはなお不足している。
三重苦の構造 ── 病院経営を直撃する3つの経路
薬局経営編で見た「イラン情勢×薬価改定×地域支援加算」の三重苦と同様、病院経営にも独自の三重苦が存在する。医療資材コスト上昇×医薬品費上昇×DPC包括下の吸収限界がそれである。
3.1 第1の経路:医療資材コスト上昇(ナフサ依存品の価格改定)
第1章で述べた通り、ロイター(3月27日)が報じた透析回路8月以降出荷困難・廃液容器4月半ば供給終了の懸念は、政府対応により9月末まで供給確保に至った。ただし、価格面の影響は残る。3月中旬以降、複数の医療資材メーカーが出荷制限や価格改定を発表し、対象品目は手袋・マスク・エタノール・エプロン等へと拡大した。
NRI木内登英氏(2026年4月3日)が指摘した通り、ナフサから作られる「エチレンからは点滴バッグ、チューブなど柔らかい素材の医療品、プロピレンからは固い素材の注射器などが作られる」という構造で、汎用医療資材の価格改定が病院の材料費を直接押し上げる。政府による供給確保が進んでも、この「価格転嫁できない中での仕入価格上昇分」を病院が吸収する構造は解消していない。
3.2 第2の経路:医薬品費上昇と製造中止対応
本シリーズの総論医薬品サプライチェーン断絶の全貌で扱った通り、2026年5月に日本ジェネリック株式会社は複数品目の販売中止を発表した(エポセリン坐剤125/250、イミダプリル塩酸塩錠、アムバロ配合錠等)。沢井製薬「全製品供給状況一覧」も継続更新されている。
撤退された不採算品目の代替として、病院薬剤部はより高価格な先発品・準先発品への切り替えを余儀なくされる。大学病院の2022→2024年度の医薬品費14.4%増は、この代替コスト増を一部反映している。厚労省2024年12月調査では限定出荷・供給停止合計20%(3,244品目)、その大半が後発品(限定出荷571+供給停止1,016=1,587品目)に集中している事実は、病院薬剤部の調達難度を構造的に押し上げている。
3.3 第3の経路:DPC包括下のコスト吸収限界
最も病院経営にとって厳しいのが、DPC/PDPS(診断群分類別包括評価)算定病院の構造的な吸収限界である。DPC病院では、入院医療費が「DPCコード×在院日数」で包括算定されるため、医薬品費・診療材料費が上昇しても入院料収入が連動して増加しない。
「DPC包括評価対象外薬剤」リスト(厚労省告示・6月1日適用版あり)に掲載された高額薬剤は出来高算定となり一定の救済があるが、ナフサ価格上昇の影響を受ける汎用医療資材(点滴バッグ・シリンジ・カテーテル等)の費用は包括内で病院が吸収する構造である。
2026年度診療報酬改定では入院物価対応料が新設され、急性期一般入院料1で58点(2027年度倍増)が算定可能となった。ただし、材料費上昇分を完全に補填する水準ではなく、あくまで「物価上昇分の一部補填」という位置づけである。一般病院(出来高算定)であっても、薬価・特定保険医療材料価格は公定価格のため、市場での仕入価格上昇を販売価格に転嫁できない構造は同じである。
医療現場のトリアージと政府対応の進展
経営面だけでなく、医療現場のオペレーションにも影響が広がっている。医薬品・医療資材の制約下では、「どの患者にどの治療を優先するか」というトリアージ的な判断が、平時の医療提供にも一部持ち込まれる場面がある。ただし政府対応の進展により、初版時点で懸念されていた「物理的な資材不足による治療停止」のリスクは大幅に低下している。
4.1 救急医療:代替薬プロトコルの検討
USP(米国薬局方)リスクアセスメント(2026年3月)が指摘したアモキシシリン(抗生物質)・エトミデート(麻酔薬)・アセトアミノフェン(解熱鎮痛剤)の3薬剤は、救急医療の現場で頻用される。品目別の供給状況は流動的なため、以下の対応が有効である。
- アモキシシリン代替:中間体の供給に制約が生じた場合、第一選択薬から第二・第三選択薬への切り替えが必要。スペクトラム拡大による耐性菌への配慮も必要
- 麻酔導入薬の代替:プロポフォール・チオペンタール等の代替プロトコルへの切り替え。各薬剤に固有の副作用プロファイルがあり、慎重な患者選択が必要
- アセトアミノフェン代替:イブプロフェン・ロキソプロフェン等への切り替えが厚労省事務連絡(過去の解熱鎮痛薬不足時の通知)で示されているが、適応症・禁忌・副作用が異なるため処方判断が複雑化
4.2 周術期:選択的手術の運用調整
手術中に使用する廃液容器(国内シェア7割企業のタイ工場供給が4月半ば時点で終了見込み)については、代替調達状況を踏まえた運用調整が求められる場面がある。政府対応と業界内融通により、当初懸念されていた広範な手術延期は回避される見通しとなった。
新型コロナ時の整形外科手術トリアージ指針(日本整形外科学会、CMS・ACS推奨の段階的アプローチ)等の前例は、必要に応じて平時運用可能なバージョンとして再整備しておくことが実務的である。医療経営的には、選択的手術の運用調整=入院料収益への影響となるため、代替品確保との両輪で対応する必要がある。
4.3 透析医療:10月以降を見据えた中長期対応
短期的な供給不安は第1章で見た通り政府対応で緩和されたが、透析医療運営者にとって残る課題は「10月以降の中長期対応をどう設計するか」にある。次のクライシス局面を想定した3つの実務ポイントを示す。
第一に、メーカーとの優先供給契約である。汎用契約から脱却し、緊急時の割当基準を事前に文書化することで、次の供給細り局面でも治療継続の確度が高まる。第二に、透析クリニック間の融通ネットワーク構築。第1章で触れた血液透析機器の独禁法疑義回答(4月23日)により、緊急時のメーカー間・施設間融通が独禁法上問題とならないことが明確化されており、この制度整備を実務スキームに落とし込む段階にある。第三に、腹膜透析(PD)・在宅医療の選択肢分散。オルタナ(2026年4月)が指摘する通り、施設集中型の血液透析(HD)だけに依存しない体制設計が、有事のインフラリスク軽減につながる。
4.4 医療物資相談窓口と対策本部の活用
厚生労働省と経済産業省は、2026年3月31日に「中東情勢の影響を受ける医薬品、医療機器、医療物資等の確保対策本部」を設置し、5月18日までに第5回を開催。4月2日にはメーカー向け、7日からは医療機関向けの相談窓口を開設した。東洋経済オンライン(4月15日)によれば、政府対策本部には2026年4月時点で543件の相談が寄せられ、そのうち「安定供給に影響がある」と判断されたものは16件であった。
- 2026年4月2日:介護関係団体向けに中東情勢を踏まえた協力依頼(周知)を発出
- 2026年4月13日:日本歯科商工協会宛てに歯科診療所等への医療用手袋等の供給強化事務連絡を発出
- 2026年4月14日:医薬品及び医療機器製造販売事業関係団体宛てに溶剤等の安定的な供給確保について周知
- 2026年4月23日:血液透析機器の安定供給に向けた関係事業者間の連携に係る独占禁止法上の取扱いに関する疑義への回答を発出
- 2026年5月14日:医療関係団体宛てに中東情勢を踏まえた医療用手袋の備蓄放出について通知
- 2026年5月29日:調剤された薬剤に使用する容器又は被包をはじめとした医療用物資等の安定供給に関する協力依頼を発出
これらの政府対応は、医療現場の「物理的な供給不安」を段階的に緩和した。一方で「価格上昇分を病院がどう吸収するか」という経営課題への直接的対策は限定的であり、これは業界団体を通じた診療報酬改定の議論に委ねられている。
病院規模別・経営インパクト ── 大学病院・中規模急性期・透析クリニック
三重苦の影響度は、病院の規模・機能・地域によって大きく異なる。本章では3類型に分けて経営インパクトと生存戦略を解剖する。
2024年度に全体で508億円赤字を計上した最重症層。高額医薬品・高機能医療資材の使用量が最大で、医薬品費14.4%増・診療材料費14.1%増の直撃を受ける。一方、DPC包括算定の対象外薬剤リストの活用余地は最も大きく、出来高算定への切り替えで一定の収益緩和が可能。
教育研究機能を維持する責務もあり、新規高額薬剤の採用・治験対応で物資調達難度がさらに上がる。2026年度改定で新設された「外科医療確保特別加算」は42大学の全国立大学病院が算定予定と国立大学病院長会議が2026年7月7日に報告。
DPC包括下で医薬品費・診療材料費の上昇を吸収する構造で、経営インパクトが大きい層の一つ。汎用医療資材(点滴バッグ・シリンジ・カテーテル)への依存度が高く、ナフサ価格上昇の影響を直接受ける。
急性期入院料の施設基準維持(救急搬送件数等)も求められ、選択的手術の運用調整は施設基準への影響リスクもはらむ。2026年度改定で「急性期総合体制加算」が新設され、総合入院体制加算と急性期充実体制加算を統合した評価体系が導入された。
透析クリニックは外来透析包括点数で運営されるため、透析回路・ダイアライザー・抗凝固剤の費用は包括内で吸収。透析患者33万7,414人(2024年末)を支える施設は全国に約4,400施設あり、地域偏在も大きい。上野厚労相の「9月末まで供給確保」発表は業界に安心材料となった。
専門診療所(眼科・整形外科・皮膚科等)も、それぞれ特定の医療資材依存度が高く、品目別の供給リスクが直接影響する。血液透析機器の独禁法疑義回答(4月23日)で緊急時のメーカー間融通が可能になった点は要注目。
5.1 経営インパクトの試算 ── 中規模急性期200床病院のケース
仮に200床×医業収益約60億円規模の中規模急性期病院(DPC算定)を例に経営インパクトを試算する。
- 診療材料費の影響:医療収益の概ね8〜10%(4.8〜6.0億円規模)が診療材料費。大学病院並みの14.1%増が発生すれば年間+6,800〜8,500万円のコスト増
- 医薬品費の影響:医療収益の概ね15〜18%(9〜10.8億円規模)が医薬品費。14.4%増が発生すれば年間+1.3〜1.6億円のコスト増
- 合計:診療材料費+医薬品費の追加コストだけで年間+2.0〜2.4億円規模。これに賃上げ・光熱費上昇が加わると、収益改善なくしては赤字幅拡大は避けにくい
- 2026年度改定の補填効果:入院物価対応料等の算定を最大化しても補填は部分的。物価対応料の総額は病院ベースで概ね0.49%相当の配分(2026年度分)にとどまる
上記試算はあくまで大学病院並みの増加率が中規模急性期にも波及した場合の概算であり、実際には病院の機能・所在地・診療科構成により変動する。しかし、「中東クライシスの前から既に赤字構造にあった病院が、年間2億円規模の追加コストを吸収できるか」という問いに、多くの病院は否定的回答にならざるを得ない。
病院経営者が今すぐ取るべき5つのアクション
ここまで見てきた三重苦の中で、病院経営者・院長・事務長・SCM担当・薬剤部長が今すぐ着手すべき実践的アクションを5つに整理する。政府対応の進展を踏まえ、初版から一部内容を更新している。
在庫水準を2〜4週間から1〜2か月へ拡張する戦略は、院内・院外の保管スペース確保と物流効率化を同時に求める。医療資材の積み下ろし・搬送には専用パレット・折りたたみコンテナ・抗菌仕様の物流資材が必要であり、運用品質が在庫管理の精度を左右する。プラスチックパレット株式会社(千葉県我孫子市・全国対応)は、医療機関向けの物流資材を扱う専門商社として、病院SPD部門の物流効率化を支援できます。医療資材の供給リスクへの対応策として、物流資材の見直しは隠れた経営改善ポイントです。
医療提供体制の「戦略物資依存」と病院経営の役割
2026年7月時点で病院経営が直面している三重苦は、単なる短期的なコスト圧迫ではない。「医療提供体制が、石油化学に深く依存している」という構造的な特性が、地政学リスクと同時に表面化したのである。
政府対応の進展により、初版時点で最も懸念されていた「物理的な資材不足による治療停止」のリスクは大幅に低下した。上野厚労相の9月末までの透析資材供給確保発表、血液透析機器の独禁法疑義回答、5回にわたる対策本部の開催、備蓄放出、代替調達拡大等の複合施策が実効性を発揮している。ナフサ価格自体も反転局面に入り、6月25日には東京オープンスペックが衝突前水準を下回った。
一方、「価格上昇分を薬価固定下の病院がどこまで吸収できるか」という経営課題は解消していない。四病協最終報告の2024年度医業赤字病院74.6%、経常赤字病院65.6%という数字は、もはや個別経営の課題ではなく、日本の医療提供体制全体の持続可能性を問う警鐘である。
本稿の核心メッセージは2つある。第一に、病院経営者は「コスト管理の延長線上」ではなく「戦略物資としての医療資源確保」という新たな経営フレームで意思決定を行う必要があること。第二に、個別病院の自助努力には限界があり、業界団体・行政との連携による制度改善が同時並行で必要であること。
日病協・望月議長が提言し、2026年度改定で「2段階対応」として一部具現化した2027年度期中改定的な運用は、その制度改善の一つの可能性である。本シリーズの医薬品サプライチェーン断絶の全貌と薬局経営の生存戦略と合わせて、医療業界全体の構造的な議論の一助となれば幸いである。
- 四病院団体協議会(四病協)「2025年度病院経営定期調査 概要版 -結果報告-」(2025年11月26日)― 2024年度医業赤字病院割合74.6%・経常赤字病院割合65.6%、2018→2024年比較で経常赤字47.7%→81.5%(33.8ポイント増)、100床あたり経常利益▲12,716万円が7年連続比較で最大赤字
- 四病院団体協議会(四病協)「2025年度病院経営定期調査 中間報告」(2025年10月6日)― 2024年度医業赤字病院73.8%・経常赤字63.6%(中間報告値、その後の最終報告で確定値は上記に更新)
- ロイター「ナフサ不足で医療機器が出荷困難の可能性、透析・手術用の品目 4―8月にかけて=関係者」(2026年3月27日)― 透析回路 国内シェア5割企業の8月以降出荷困難・廃液容器 国内シェア7割企業のタイ工場4月半ば供給終了見込み
- 日本透析医学会 統計調査報告書 ― 国内透析患者数 33万7,414人(2024年末時点)
- 東洋経済オンライン「〈透析患者34万人に影響か〉ナフサ不足が『アジア生産の医療機器』に与える打撃…値上げなら病院の経営悪化を招く懸念も」(2026年4月15日)― 政府対策本部に543件の相談、うち16件が「安定供給に影響あり」と判断
- NRI(野村総合研究所)木内登英「医療用品の不足に備える:価格メカニズムと政府の生産資源配分への関与」(2026年4月3日)
- 医学部長病院長会議 ― 2024年度大学病院全体で508億円経常赤字、2022年度比で医薬品費14.4%増・診療材料費14.1%増
- 日本医師会「令和7年病院の緊急経営調査結果 -令和5年度、6年度実態報告-」(2025年10月22日定例記者会見)― 病院全体の令和6年度医業利益率▲5.4%、経常利益率▲2.6%、公立病院医業赤字割合96.6%、材料費前年度比+4.8%
- 日病協(日本病院団体協議会)望月議長提言 ― 2026年度通常診療報酬改定に続く2027年度の期中改定も視野に入れるべき(2025年12月)
- 厚生労働省・中医協「2026年度診療報酬改定 答申」(2026年2月13日)― 診療報酬本体+3.09%(2年度平均、2026年度+2.41%・2027年度+3.77%)、物価対応料新設、入院ベースアップ評価料1-250点(2027年6月から1-500点)
- 厚生労働省「令和8年度診療報酬改定 疑義解釈資料の送付について(その1〜8)」(2026年3〜6月)― 施設基準・算定要件の詳細
- 厚生労働省・経済産業省「中東情勢の影響を受ける医薬品、医療機器、医療物資等の確保対策本部」設置及び第1〜5回開催(2026年3月31日・4月2日・4月10日・4月23日・5月18日)
- 厚生労働省「中東情勢関連対策ワンストップポータル」― 事務連絡一覧、4月2日介護関係団体宛、4月13日日本歯科商工協会宛、4月14日医薬品・医療機器製造販売事業関係団体宛、5月14日医療関係団体宛、5月29日調剤薬用容器安定供給協力依頼
- 厚生労働省「現下の中東情勢を踏まえた血液透析機器の安定供給に向けた関係事業者間の連携に係る独占禁止法上の取扱いに関する疑義への回答について【日本医療機器テクノロジー協会宛て】」(2026年4月23日)
- 上野賢一郎厚生労働大臣 発表「透析資材(ダイアライザー・注射針・洗浄剤等)について9月末までの十分な供給を確保」(2026年4月24日)
- 厚生労働省・広域災害・救急医療情報システム稼働開始(2026年4月10日)
- 厚生労働省「DPC/PDPS包括評価対象外となる薬剤一覧」― 2026年6月1日適用版
- 厚生労働省告示第72号「使用薬剤の薬価(薬価基準)の一部を改正する件」(令和8年3月5日官報告示)― 薬剤費ベース▲4.02%、2026年4月1日施行
- 日刊薬業「中東情勢、原薬のリスク洗い出し 原薬工、影響の程度は不透明」(2026年4月28日)
- 日本ジェネリック株式会社「医療関係者向けお知らせ一覧」― 2026年5月22日付 販売中止案内(エポセリン坐剤125/250、イミダプリル塩酸塩錠、アムバロ配合錠等)
- 沢井製薬株式会社「全製品供給状況一覧」(2026年5月8日時点・継続更新中)
- 厚生労働省「医療用医薬品の供給状況」第19回医療用医薬品の安定確保策に関する関係者会議 参考資料3(令和7年1月24日)― 2024年12月調査:限定出荷・供給停止合計20%(3,244品目)
- USP(米国薬局方)リスクアセスメント(2026年3月)― アモキシシリン・エトミデート・アセトアミノフェンの供給停止リスク警告
- オルタナ「手袋、輸液バッグ――ホルムズ危機でのナフサ不足と医療現場の対応は」(2026年4月)
- 日経メディカル「ナフサ危機から考える健康医療安全保障と保健医療の構造的強靱化」(2026年5月)
- 日経メディカル「【速報】2026年度診療報酬改定の詳細が決定」(2026年2月13日)
- GemMed「『2026→27年度』と物価・人件費が高騰する点踏まえ2026年度2.41%、27年度3.77%の診療報酬本体引き上げ―上野厚労相」(2025年12月)
- GemMed「2023年度から24年度にかけて病院経営はさらに悪化、医業『赤字』病院割合は74.6%、経常『赤字』病院割合は65.6%―四病協(最終報告)」(2025年11月)
- 日本経済新聞「ナフサ価格がアジアで下落、衝突前下回る 代替調達で供給懸念が後退」(2026年6月25日)― 東京オープンスペック1トン627ドル(中心値)、衝突前632ドルを下回る
- 首相官邸「中東情勢を踏まえた令和8年度補正予算等についての会見」(2026年5月25日)― 高市総理3兆円補正予算表明、中東情勢等対応予備費創設、電気・ガス料金支援
- ジェトロ「中東・イラン経済情勢(2026年5月14日時点)」― 海上輸送の喜望峰経由迂回継続
- News on Japan「Is Japan Really Running Short of Naphtha?」(2026年5月14日)― 中東域外調達で5月需要60%・6月需要70%カバー
- 労働政策研究・研修機構(JILPT)― 2025年12月成立補正予算(厚労省2兆3,252億円・医療介護等支援パッケージ1兆3,649億円)
- 国立大学病院長会議「外科医療確保特別加算に関する調査結果」(2026年7月7日)― 42大学全て算定予定
- 日本整形外科学会「新型コロナウイルス感染症拡大に伴う整形外科手術のトリアージについて」― CMS・ACS推奨の段階的アプローチに準拠
- プラスチックパレット株式会社「Oil & Naphtha Monitor」― ナフサ価格・供給状況の継続モニタリング
- 本記事は2026年7月13日時点で確認可能な公式発表・報道・業界統計をもとに、当社編集部が独自にまとめたものです。個別の医療機関経営判断・診療報酬算定・投資判断の根拠として利用される場合は、必ず厚生労働省告示・診療報酬点数表・関係業界団体の公式資料および専門家(医事コンサルタント・公認会計士・弁護士等)にご確認ください。
- 本記事に登場する統計数値・改定率・出荷制限情報は、公表時点の情報であり、その後の政策変更・診療報酬改定告示・供給状況変化により内容が変更される可能性があります。最新情報は各行政機関・業界団体の公式サイトで随時ご確認ください。
- 透析資材・医療資材の供給状況は流動的であり、9月末以降の見通しは中東情勢・代替調達進捗・各社在庫状況により変化します。個別の資材調達判断は、必ずメーカー・卸業者との直接確認および厚労省・経産省の医療物資相談窓口を通じてご判断ください。
- 本記事は特定の医療機関・医療メーカー・薬剤の推奨・非推奨を目的とするものではなく、経営情報の提供を目的とするものです。個別の資材選定・治療方針判断は、各医療機関の専門的判断のもとで行われるべきものです。
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