トヨタ系Tier1の決算で見えた「ナフサ6月懸念」
ホルムズ封鎖が突きつけた供給網の真の脆弱性
過去最高益の決算と、警戒感に満ちた来期見通し。両者の落差が映し出すのは、コストではなく「現物」をめぐる戦いに突入したサプライチェーンの姿である。
公開日:2026年5月1日
2026年4月28日に発表されたトヨタ系部品6社の決算は売上収益で過去最高を更新する一方、来期(2027年3月期)見通しでは3社が最終減益を見込み、経営幹部はそろって「ナフサは数カ月先まで見通せない」と警戒を表明した。ホルムズ海峡の事実上の封鎖を受け、危機の本質はコストアップから「物理的な現物確保」へと移行している。
01「過去最高益」と「6月以降への警戒」── 二つの顔
2026年4月28日、トヨタ自動車系の主要部品メーカー6社(デンソー、豊田合成、トヨタ紡織、豊田自動織機、ジェイテクト、愛知製鋼)が一斉に2026年3月期決算と来期見通しを発表した。終わった期の数字は記録的な好調を示している。
| 企業 | 売上収益 | 営業利益 | 備考 |
|---|---|---|---|
| デンソー | 7兆5,399億円 | 5,525億円(+6.5%) | 売上・最終利益とも過去最高 |
| 豊田合成 | 1兆1,467億円 | 795億円(+32.9%) | 純利益+70.7%、過去最高 |
| 豊田自動織機 | ― | 減益 | 認証不正関連費用が利益圧迫 |
| トヨタ紡織 | ― | 増収増益 | 5期連続増収を継続 |
出典:各社決算短信、日本経済新聞、ゴム報知新聞NEXT、CAR CARE PLUS(2026年4月28日発表分)
しかし記者会見の場で経営幹部の口から漏れたのは、「過去最高」を称える言葉ではなく、来期に向けた異例の警戒感だった。日本経済新聞は4月29日付で「ナフサ(粗製ガソリン)は数カ月先までは見通せない」との経営幹部発言を伝え、6社のうち3社が来期最終減益を見込んでいることを報じている。
"ナフサは5月末までは確保できているが、6月のどこかで懸念が出るという情報がある
― 豊田合成 安田洋 副社長(中外装部品担当)
出典:日本経済新聞「デンソーや豊田合成『ナフサ6月から懸念』」(2026年4月29日)
2025年度決算が示しているのは「過去」の好調にすぎない。経営の視線はすでに、5月末を境に予測不能となる調達環境へと移っている。
02ナフサ価格の変調 ── 第2四半期は過去最高更新の見通し
2026年2月末に始まった米国・イスラエルによるイランへの大規模軍事攻撃と、これに反発したイランによるホルムズ海峡の事実上の封鎖は、石油化学産業の前提を一変させた。化学工業日報によれば、第1四半期(1〜3月)の国産ナフサ基準価格は1キロリットル当たり65,700円とほぼ横ばいに止まったが、第2四半期(4〜6月)は「金額・上昇幅とも過去最高を大幅に更新する可能性が高い」と報じられている。
国産ナフサ基準価格/kL
国産ナフサ価格指標/kL
中東依存度(2024年)
ナフサ形態の在庫
出典:化学工業日報、大景化学(株)公開指標、石油化学工業協会、東洋経済オンライン「中東原油依存のうえ備蓄少」
注意すべきは、政府の「石油備蓄254日分」という数字は原油形態が大部分であり、石油化学プラントに直接投入できるナフサ在庫はわずか20日分程度に過ぎない、という構造である。さらに、UAE・クウェート・カタールの3カ国だけで日本のナフサ輸入の約67%を占めており、ホルムズ封鎖は供給の3分の2を遮断することと同義となる。
帝国データバンクの調査(2026年4月17日)によれば、ナフサ由来製品のサプライチェーン上にいる製造業は全国に4万6,741社、全製造業(約15万社)の約3割に達する。ナフサショックは特定産業の問題ではなく、日本の製造業の3割が同時に揺らぐ規模の構造危機なのである。
製造業にとって「備蓄論」は通用しない
「石油備蓄254日分」は原油換算の数字であり、石化プラントが必要とするナフサ形態では約20日分しかない。化学・プラスチック・繊維産業のサプライチェーンは、原油よりはるかに脆弱な備蓄構造の上に成り立っている。
03来期見通しを下方修正した3社、その背景
日刊工業新聞ニュースイッチの分析によれば、来期(2027年3月期)見通しで売上高と各利益段階を下方修正したのはデンソー、アイシン、愛知製鋼。豊田合成は各利益段階を、豊田自動織機は営業利益を下方修正している。背景には、車両生産の下振れ予想、為替の円高傾向、米国関税、そしてナフサを起点とする原材料・エネルギーコスト高が複合的に絡んでいる。
"為替の円高傾向による影響のほか、収益力の高い中国や日本での販売減少による利益構成悪化も要因
― デンソー 松井靖 経営役員
出典:日刊工業新聞ニュースイッチ「トヨタグループ7社の業績悪化鮮明」
"中国や日本の減産を織り込んだほか、米国も下振れする予想
― 豊田合成 安田洋 取締役
出典:日刊工業新聞ニュースイッチ
豊田自動織機については、フォークリフト販売は増加するものの、自動車減産に加え「資材・エネ費や物流費、人件費の高騰、部品不足が続く」との見立てから営業利益を見直した。ジェイテクトとトヨタ紡織は予想を据え置いている。
ナフサ問題は「コスト」と「現物」の二重リスク
記者会見で示された警戒感の本質は、価格上昇による損益への打撃にとどまらない。原材料そのものが手に入らなくなる「物理的欠乏」リスクへ、議論の焦点が移行している点が今回の特徴だ。実際、ホルムズ封鎖の影響は4月以降、住宅設備(TOTOがユニットバス新規受注停止)、塗料、特装車、断熱材(カネカが40%値上げ)と異業種に連鎖しており、自動車部品はその最も上流の警戒網の一つに位置している。
04樹脂・溶剤・添加剤 ── 「見えない原材料」が工程を止める
自動車1台に使われる樹脂・ゴム部品の重量は約100〜150kgにのぼり、その大半はナフサを原点とする石油化学製品から製造されている。さらに、完成車には残らないが工程上不可欠な「副資材」── 塗装に使うシンナー(キシレン、トルエン)、電子基板の洗浄剤、脱脂剤、接着剤 ── も、すべてナフサを起点とする溶剤類だ。
エンプラに潜む「添加剤の罠」
車載電子機器に使われるエンジニアリング・プラスチック(PA66、PBT等)は、ベース樹脂に難燃剤・酸化防止剤・耐熱剤などの添加剤を数%ブレンドして製造される。ナフサ系誘導品の添加剤が一部でも欠ければ、要求スペックを満たすコンパウンドが製造できなくなり、わずかな添加剤の欠品が高付加価値部品全体の出荷を止めるリスクを孕んでいる。
住宅設備・塗料・建材で先行する「具体的な被害」
時事通信は4月時点で、ナフサ調達の不安定化を理由にTOTOがユニットバスの新規受注を一時停止したこと、カネカが住宅用断熱材の価格を40%引き上げたこと、積水化学工業が塩化ビニール管などの価格改定を決めたことを報じている。プラモデルの塗料やシンナーまで品薄となり、販売店が購入数量を制限する動きも出ている。自動車部品の現場で「シンナー(溶剤)」が懸念される根拠は、すでに住宅設備・趣味市場で先行して顕在化している現象なのである。
政府も動いている。経済産業省は4月3日、トルエン等を原料とするシンナーを含む溶剤等について、医療をはじめ国民生活に支障が生じることがないよう、安定供給の実施を関係事業者に要請。さらに4月10日には、「中東情勢を踏まえた燃料油・石油製品の安定供給確保及び重要物資の安定的な供給確保のための対応方針(案)」が公表され、米国、アルジェリア、ペルー等からのナフサ代替調達の加速を打ち出している。
連鎖は「中東に直接取引のない企業」にも届く
JETROは、ホルムズ海峡の混乱が原油だけでなく、肥料、ナフサ、ヘリウム、アルミニウムにまで波及し得ると整理している。中東と直接取引のない企業も、ナフサ・樹脂・溶剤・潤滑油・包装材・トラック運賃・海上保険料を経由して間接的に影響を受ける構造にある。
05深掘り:デンソーは何を抱えているのか ── アジア事業と過去の危機の教訓
トヨタ系Tier1の中でもとりわけ注目すべきは、独ボッシュに次ぐ世界第2位の自動車部品メーカー、デンソーの動向である。2026年3月期は売上収益7兆5,399億円・営業利益5,525億円と過去最高を更新したものの、その内側では複数の構造的逆風が同時進行している。本章では、(a) アジア事業の現状、(b) 日本とアジアを結ぶ部品輸出入フロー、(c) 過去の3つの危機(タイ洪水・コロナ・ナフサ)の比較、(d) 4月28日の資本再編発表 ── という4つの視点からデンソーの今を解読する。
5-1. アジア展開の重さ ── 35カ国・約190拠点・約16万4,000人
デンソーはタイに海外初の生産会社を1972年に設立して以来、半世紀をかけてアジアを基幹市場へ育ててきた。THAIBIZの取材記事によれば、現在のグローバル展開は35カ国・地域、約190拠点、従業員約16万4,000人にのぼる。アジアの中核はタイで、デンソー・インターナショナル・アジア(タイランド)が豪亜地域の統括会社として機能している。
アジア地域統括拠点。10事業会社・約1万1,000人を擁する最大集積地。デンソー・タイランド、サイアム・デンソー・マニュファクチュアリング、サイアム・キョウサン・デンソー、デンソー・エレクトロニクス・タイランド(DELT)など。アセアン・インド向けの生産・供給を担う。
DENSO MANUFACTURING VIETNAMが2001年設立。当初はASEAN市場供給拠点だったが、競争力ある労務費を背景に世界18カ国へ部品を輸出するグローバルハブに成長。2026年GOOD FACTORY賞を受賞、現地DXリーダーが改善を牽引。
デンソー・インドネシア(68.3%)、デンソー・マニュファクチュアリング・インドネシア(100%)、デンソー・セールス・インドネシアの3社体制。ハマデン・インドネシア(HDI)はホーン製造のグローバル供給拠点。
電装(中国)投資有限公司が中国全体を統括。天津電装電子(TDE)でリレー製品等を生産。BYD・吉利・長城など地場EVメーカーの台頭で販売環境が激変中。2025年3月期はアジアセグメント減益の主因。
デンソー・マレーシア(72.7%)。ASEAN域内供給網の一翼を担う。
デンソー・フィリピン(100%)、デンソー・テン・コーポレーション・フィリピン(100%)。
出典:デンソー グローバル拠点情報、Wikipedia「デンソー」、THAIBIZ「タイで成功する日系企業デンソー」、第14回 GOOD FACTORY賞、デンソーエレクトロニクス公式サイト
5-2. 日本とアジアを結ぶ「部品の動脈」── 輸出入フローの実像
デンソーのアジア展開を理解する鍵は、日本本社とアジア生産拠点の間を流れる「部品の動脈」にある。財務省貿易統計および日本貿易会の整理によれば、日本の自動車部品輸出先は米国が首位、続いて中国、タイの順となっている。これは日系完成車メーカーが進めたアジア現地生産戦略の必然的帰結であり、日本のTier1から海外現地工場への部品供給が大きな輸出フローを形成している。
デンソーにおける日本→アジアの部品サプライ構造
日本本社・国内製作所(刈谷・幸田・善明・大安等)で、ECU、半導体実装基板、インバーター、センサー、燃料噴射装置等の高機能・高付加価値部品を生産。これらは設計・品質要求が厳格で、現地化が進みにくい領域。
日本→タイ・インドネシア・ベトナム等のアジア工場へ高機能部品を輸出。同時に、現地の樹脂部品サプライヤー(ローカル化学メーカー)からPP・PEなどの汎用樹脂部品を調達し、現地アセンブリ。
アジア工場から完成部品を出荷。タイ・インドネシアからはASEAN域内のトヨタ・ホンダ・スズキ等の完成車工場へ、ベトナム(DMVN)からは世界18カ国の他のデンソー拠点・完成車工場へ供給。
逆フローも存在。アジア工場で生産された汎用部品の一部は日本へ「逆輸入」され、国内完成車工場や輸出仕向地別ニーズに応じて使い分けられる。
このフローはコスト効率を最大化する一方で、上流(原材料)と下流(完成品)の両側面で地政学リスクに晒されやすい。今回のナフサショックは、フローの最も根源的な「樹脂原料の上流」が揺らぐ事態であり、日本・アジア両拠点で同時に副資材調達が困難化する構造を持っている。
5-3. アジア事業の重い課題 ── 中国地場EVの台頭
規模拡大の裏で、アジア事業は構造的な逆風に直面している。デンソー副社長(当時)の松井靖氏は2025年4月の決算会見で、地域別業績について「車両の販売不振が続く欧州・アジアでは前年比で減収」「アジアでも合理化努力はあるものの、車両販売不振のため前年比で大きく減益」と説明した。背景にあるのは、中国市場における地場EVメーカー(BYD、吉利、長城など)の急速な台頭、それに伴う日系完成車メーカーの中国シェア縮小、そしてASEAN域内の競争激化である。
2026年3月期の四半期推移を見れば、第3四半期(2026年2月発表)には通期最終利益予想を従来の4,970億円から4,200億円へ15.5%下方修正している。これは「米国関税、部材費高騰、将来投資など」を理由とするものであり、本決算で5,525億円の営業利益(過去最高)に着地した経緯は、結果論として「下方修正からのリカバリー」だった。来期予想で再び慎重な見通しを示している点を踏まえれば、楽観論は禁物だ。
5-4. 過去の3つの危機 ── タイ洪水・コロナ・ナフサの比較
デンソーをはじめとする日系自動車部品メーカーは、過去15年で3つの大きなサプライチェーン危機を経験している。それぞれの性質を比較することで、ナフサショックの本当の難しさが見えてくる。
| 項目 | タイ洪水(2011年) | コロナショック(2020年) | ナフサショック(2026年) |
|---|---|---|---|
| 危機の性質 | 現地工場の物理的浸水・操業停止 | 世界同時の需要消失と完成車工場停止 | 原材料の物理的欠乏(現物枯渇) |
| 波及範囲 | タイ中部の工業団地を起点にASEAN・世界へ波及 | 全世界・全業種同時 | ナフサ依存3割の製造業(4万6,741社) |
| デンソーへの影響 | ASEAN自動車生産停滞・部品供給遅延 | 2020年4-6月期 売上42%減・ 四半期最終赤字900億円(過去最大) |
2026年6月以降のナフサ調達不透明・来期予想下方修正 |
| 主たる損失要因 | 工場浸水・部品サプライチェーン寸断 | 操業度差損約2,300億円 (工場稼働率の急落) |
原材料コスト高+現物確保の防衛コスト |
| 解決の道筋 | 工場復旧・代替生産(数カ月) | 需要回復+ワクチン普及(1〜2年) | 地政学情勢次第・代替調達網の構築 |
| その後の構造変化 | BCP導入加速・調達多元化開始 | マルチソーシング44.2%が導入 (FJCCIA-JETRO調査) |
JIT→JICへの軸足移動・素材脱石油化への投資加速 |
出典:JETRO「ASEANでの新型コロナ禍を振り返る」、日経新聞「デンソーの4〜6月、最終赤字900億円」、東洋経済「タイ洪水の深刻度」、経済産業省「通商白書2021」、化学工業日報、各社決算資料
タイ洪水の教訓 ── 集中生産のリスクを露呈
2011年7月から12月にかけて発生したタイ洪水では、チャオプラヤ川流域の7工業団地が浸水し、入居企業約800社が被災。経済損失は約3兆6,000億円、2011年のタイGDP伸び率は3.7%減少した。日本企業も約460社が冠水、ホンダのアユタヤ・ロジャナ工業団地工場では4ヶ月以上の操業停止に追い込まれた。デンソーも例外ではなく、ASEAN自動車産業全体が部品供給寸断による減産を余儀なくされた。この経験を経て、日系企業は事業継続計画(BCP)の本格導入と、調達先の多元化を始めた。
コロナショックの教訓 ── 「需要消失」型の危機
2020年のコロナショックは、デンソーにとって2008年リーマンショック以来の経営危機をもたらした。日経新聞によれば、2020年4-6月期のデンソー連結決算は売上収益7,650億円(前年同期比42%減)、営業損益1,066億円の赤字、最終損益900億円の赤字(四半期ベースで過去最大)。工場の操業率低下が営業損益を約2,300億円押し下げた。トヨタ自動車が3月23日に北米全工場を停止、欧州・インドでも順次工場休止に踏み切ったことが、サプライヤーであるデンソーを直撃した格好である。
同年、デンソーは2000年以降初めて冬の賞与を再協議で0.1カ月分減額するという異例の措置に踏み切った。一方ASEANでは、JETROとFJCCIAが7月に実施した調査(220社回答)で、製造業の45.5%が「調達先の多元化(マルチプル・ソーシング)」を、44.2%が「適正在庫量の見直し」を今後1〜3年の重点対応として挙げている。コロナで顕在化したのは、東日本大震災・タイ洪水で得たBCP教訓では足りないグローバル同時危機への耐性の必要性だった。
ナフサショックの新しさ ── 「現物枯渇」型の危機
そして今回のナフサショックは、上記2つとは性質が決定的に異なる。タイ洪水は「物理的に工場が動かない」、コロナは「需要が消えて作れない」だったのに対し、ナフサショックは「需要があり、工場も動かせるのに、原材料そのものが手に入らない」という、3つ目の質の困難をもたらしている。
2026年ナフサショックのタイムライン(デンソー視点)
注目すべきは、この危機がアジア生産拠点にも波及する点だ。タイ・インドネシア・ベトナムのデンソー工場で使われる樹脂・溶剤は現地調達が中心だが、その川上を辿ればナフサ・原油の輸入はやはり中東に大きく依存している(韓国LG Chemは2026年3月、原料ナフサ調達難で麗水のナフサクラッカーを停止と報じられた)。日本国内の危機が、アジア各国の現地調達網にも波及する「玉突き構造」が、ナフサショックの最も厄介な特徴である。
5-5. 米国関税の直撃 ── 二重・三重の圧力
もう一つの重い要素が、米国による自動車・自動車部品への25%追加関税だ。JETRO「世界貿易投資報告」によれば、2025年4月3日に自動車本体への25%関税が、5月3日には自動車部品への同25%関税が適用開始された。同年1〜5月の米国による自動車・自動車部品輸入額は前年同期比8.6%減となり、日本からの輸出も2.3%減と影響を受けている(その後、2025年9月の日米貿易協定で関税リスクは一定程度緩和)。
「ナフサ」「米国関税」「中国EV」── デンソーの三正面作戦
デンソーをはじめとするTier1にとって、ナフサ起点の樹脂・溶剤コスト高は日本国内製造コストを押し上げる一方、米国関税は完成品・部品の北米向け出荷の収益性を直撃する。さらに中国市場では地場EV勢との価格競争に晒されており、「上流(原材料)」「下流(最終市場)」「競合構造」が同時に揺らぐ三正面作戦を強いられている。
5-6. 4月28日のもう一つのニュース ── 自社株TOB最大3,136億円とローム買収提案取り下げ
決算発表と同じ4月28日、デンソーはもう一つ重大な発表を行った。Bloombergおよびデンソー公式リリースによれば、最大約3,136億円規模の自己株式公開買付け(TOB)の実施と、同時に進めていたロームへの株式取得提案の取り下げが正式決定された。
このTOBは単独の株主還元策ではなく、トヨタグループ全体の大規模資本再編の一環である。具体的には、トヨタ不動産を中心とする陣営が豊田自動織機を非公開化(2026年6月上場廃止)するため、トヨタ自動車・デンソー・豊田通商・アイシンの「トヨタグループ4社」が連動して、自社株TOBを通じ豊田自動織機の保有株を吸収する仕組みになっている。デンソーが買い付ける対象は、豊田自動織機が保有する自社普通株式157,705,656株(所有割合5.86%)と、退職給付信託の信託財産27,192,000株を合わせた184,897,656株(同6.87%)である。
政策保有株の解消とROE向上 ── これがトヨタグループ全体で進む再編の核心であり、デンソーも例外ではない。一方、独立性確保の観点から進めていた「半導体メーカーへの転身」を象徴するロームへの買収提案については、林新之助社長が決算会見で「現段階で両社の価値向上に至るシナリオが描けない」とし、技術・製造面での協力に軸足を移すことを表明した(日経新聞「半導体で『同盟』再考も投資止めず」)。
つまりデンソーは、(1) 過去最高益を達成したまさにその日に、(2) 来期はナフサショック・米国関税・アジア販売不振という三重苦を抱える見通しを示し、(3) ロームへの大型M&Aを断念し、(4) 同時にトヨタグループ持合解消スキームに連動した3,136億円規模の自社株買いを発表した ── という極めて複雑な構図にある。表面的な「過去最高益」だけを見れば実態を見誤る、という意味で、デンソーはまさに2026年自動車部品産業を象徴する企業と言える。
06JIT vs JIC ── 在庫戦略は「効率」から「生存」へ
「必要なものを、必要な時に、必要な量だけ」── トヨタ生産方式の象徴であるジャスト・イン・タイム(JIT)は、平時の安定したグローバルサプライチェーンを前提とした効率化モデルだった。しかし2026年のナフサ環境下では、地政学リスクが顕在化した品目に限って、ジャスト・イン・ケース(JIC:万が一への備え)への部分的な軸足移動が進みつつある。
具体的には、(1) 重要原材料の在庫を従来の数日〜数週間分から数カ月単位へ積み増す、(2) 海上物流の寸断リスクに備えて代替調達ルートを多重化する、(3) 仕入価格の上昇を素早く価格転嫁する条項を販売契約に組み込む ── といった対応である。これは効率の犠牲ではなく、事業継続性(BCP)への投資として再定義されつつある。
「ピラミッド底辺」を支える防衛戦
もう一つの焦点が、資金力に乏しい2次・3次サプライヤーの連鎖崩壊リスクだ。原材料が高騰し調達困難となるなか、Tier2以下では「買えない・作れない・納められない」状況が現実化しつつある。これに対し巨大Tier1は、自らの資金力で上流の石化メーカーから原材料を確保し、下位サプライヤーへ「支給」する仕組みの拡充や、コスト上昇分の早期価格転嫁により、協力会社の連鎖倒産を防ぐ防波堤の役割を引き受けている。
07物流現場で何が起きているか ── パレット・包装材への波及
ナフサショックの波は、製品本体の樹脂部品だけでなく、物流現場の足元 ── プラスチックパレット、ストレッチフィルム、PP/PEバンド、OPPテープといった「物流副資材」── にも広がっている。これらはすべてポリプロピレン(PP)、ポリエチレン(PE)、LLDPE などナフサ由来樹脂を主原料とする。
プライムポリマーをはじめとする国内大手樹脂メーカーは2026年に入り、PP・PEの大幅な価格改定を相次いで打ち出しており、フィルム・バンド・パレットの末端納入価格にも反映され始めた。Tier1サプライヤーが抱える「ナフサ起点の脆弱性」は、その下流で動き続ける物流オペレーションの安定性とも、確実につながっている。
082026年、自動車産業が問われる「強靭性」
2026年4月末時点で、ホルムズ海峡は「全面封鎖でも全面開放でもない」極めて不安定な状態が続いている。米中央軍はイラン港湾向けの海上封鎖を継続する方針を維持し、イラン革命防衛隊も4月18日に同海峡の管理が「従前の状態に戻った」と宣言した。MarineTraffic.comの船舶追跡データでは、平時の通航量(1日約130隻前後)と比較して商業運航はほぼ停止状態と報じられている。
Tier1サプライヤーが異口同音に発した警告は、コストアップという表面的な痛みの奥にある、サプライチェーンの構造的脆弱性の露呈である。「シンナーの一滴、添加剤の数グラム」が途絶えるだけで、巨大な製造ラインが沈黙する現実を前に、各社は「JIT」の成功体験を相対化し、地政学リスクを織り込んだ「JIC」へ部分的に軸足を移しつつある。
同時に問われているのは、(a) 素材の脱・石油化(ケミカルリサイクル、バイオ素材、再生樹脂への転換)と、(b) Tier1〜Tier3まで一体となった協力体制の再構築、そして (c) アジア・北米・欧州それぞれの地政学リスクと正面から向き合う事業ポートフォリオの再設計である。タイ洪水で学び、コロナで深化させたBCPは、ナフサショックの「現物枯渇型」危機において再びその限界を試されている。日本のものづくりは、効率最大化の時代から、強靭性と共存共栄を両立させる時代へ ── そう言えるだけの分水嶺に、いま立っている。
主な参考資料・出典
- 日本経済新聞「デンソーや豊田合成『ナフサ6月から懸念』 トヨタ系部品に中東リスク」(2026年4月29日)
- 日本経済新聞「デンソー、半導体で『同盟』再考も投資止めず ローム買収案取り下げ」(2026年4月28日)
- 日本経済新聞「デンソーの20年3月期、純利益7割減 新型コロナも影響」(2020年4月)/「デンソーの4〜6月、最終赤字900億円」(2020年7月)
- 日刊工業新聞ニュースイッチ「デンソー・アイシン…トヨタグループ7社の業績悪化鮮明、新たな懸念材料も」
- 化学工業日報「国産ナフサ価格、過去最高へ 1〜3月は横ばい」
- CAR CARE PLUS「デンソー2025年度決算、売上7兆5399億円で過去最高 来期は減益予想」(2026年4月30日)
- ゴム報知新聞NEXT「豊田合成、日本、米州、アジア、インドで増収増益」
- 時事通信ドットコム「【やさしく解説】依然続くホルムズ海峡封鎖」
- 三菱UFJ銀行 経営企画部経済調査室「ホルムズ海峡の事実上封鎖と世界経済への影響」(2026年4月3日)
- 東洋経済オンライン「中東原油依存のうえ備蓄少…『ホルムズ海峡封鎖』で…」、「タイ洪水の深刻度、日本企業への影響を独自調査」
- 大景化学株式会社「ナフサ価格推移表」(2026年4月29日時点)
- JETRO「世界貿易投資報告 2025年版」、「ASEANでの新型コロナ禍を振り返る(後編)」、ホルムズ海峡関連レポート
- THAIBIZ「タイで成功する日系企業デンソーのWin-Winな共創戦略」
- 第14回 GOOD FACTORY賞「DENSO MANUFACTURING VIETNAM」受賞理由(2026年)
- デンソー グローバル拠点情報、デンソー公式リリース「自己株式の取得及び自己株式の公開買付けに関するお知らせ」(2026年4月28日)
- Bloomberg「デンソーが自己株TOB、最大約3136億円」(2026年4月28日)
- 帝国データバンク「ナフサ関連製品サプライチェーン動向分析調査」(2026年4月17日)
- 経済産業省「中東情勢を踏まえた燃料油・石油製品の安定供給確保及び重要物資の安定的な供給確保のための対応方針(案)」(令和8年4月10日)
- 経済産業省「通商白書2021年版」、東京海上日動リスクコンサルティング「2011年タイ洪水から10年を迎えて」


