2026年ホルムズ海峡危機が直撃する旅行業界
温泉旅館のA重油から国際線ジェット燃料まで——宿泊・航空サプライチェーンを貫く「燃料・原料ショック」の連鎖
温泉旅館のボイラー燃料、リネンサプライの蒸気コスト、プラスチック製アメニティ、国際線燃油サーチャージ、SAF調達網、出国税引き上げ——旅行業界の各レイヤーを貫くエネルギー・原料コスト圧迫の構造を、官公庁および業界一次情報をもとに整理します。
2026年のホルムズ海峡封鎖を引き金とする原油・ナフサ・ジェット燃料の同時高騰は、温泉旅館のボイラー燃料から国際線燃油サーチャージ、リネン洗浄の蒸気熱源、プラスチック製アメニティ、空港物流のSAF調達網まで、旅行業界のサプライチェーン全層を構造的に圧迫しており、エネルギー転換と物流資材の循環型調達への移行が経営継続の鍵となっています。
1. 温泉旅館・ホテルのエネルギーインフラ:A重油コストの急騰
温泉旅館や大型ホテルの運営において、給湯・大浴場の加温・館内暖房の熱源として使用されるA重油の価格高騰が、施設の固定費を極めて強く圧迫しています。
A重油価格の急騰と現場インパクト
長崎市のホテル「矢太樓」では、大浴場をはじめ館内の給湯のために多い月で約2万リットルのA重油を使用しています。A重油価格は2026年4月から1リットルあたり約20円値上がりし、ひと月あたりの燃料費は約40万円増加しました(KTNテレビ長崎報道、2026年4月15日)。
同様の影響は全国規模で観測されており、帝国データバンクが2026年3月に公表した「燃料費の高騰が企業に与える影響度調査」では、大浴場を備える旅館・ホテルおよび温浴施設はボイラー燃料消費が大きく、シーツ・タオル等のリネン類の洗濯・乾燥でも燃料を必要とするため、利益を大きく圧迫する業種の上位に位置付けられています。
銭湯業を主業とする企業:営業利益が平均30%減少(全産業平均は約5%減)
2025年度の銭湯業界利益合計は約27億円と前年度(49億円)から半減見通し。スーパー銭湯では値上げによる客離れリスク、公衆浴場では入浴料の都道府県公定により値上げが容易でないため、減益幅・赤字幅が拡大しやすい構造にあります。
収益圧迫と設備投資の技術転換
A重油の取引価格はドバイ原油など原油指標に直接連動するため、エネルギーコストの急増は宿泊施設の自助努力(節電・節約)で吸収できる範囲を超過しています。一方で公衆浴場法に基づく入浴料の上限規制や、宿泊料金転嫁による客離れリスクから、価格転嫁が容易ではないという構造的ジレンマに直面しています。
こうした背景から、化石燃料依存リスクを低減するため、重油ボイラーから高効率ヒートポンプ、地中熱利用、バイオマスボイラーへの設備更新を前倒しで検討する事業者が増加しています。
2. リネンサプライのサプライチェーン直撃
宿泊業界のバックヤードを支えるリネンサプライ(シーツ、タオル、浴衣等のクリーニング業)は、エネルギー多消費型の産業構造を持ち、原油高の直撃を受けています。
ボイラー燃料と石油化学原料の二重高騰
業務用クリーニング工場では、大量の洗濯物の洗浄・乾燥・アイロン掛け(ロール機)の各工程で大量の蒸気を必要とし、その熱源として重油・都市ガス・LPガスが使用されます。観光経済新聞(2026年4月3日)も、帝国データバンク調査で「旅館・宿泊所」が燃油価格急騰の影響を受ける業種上位に挙がったことを報じています。
さらに、洗剤・柔軟剤等の石油化学製品(ナフサ由来)の仕入れ価格上昇が重なり、リネンサプライ業者の損益分岐点を大きく押し上げています。中国メディア「チャイナネット」(2026年4月16日)は、温泉旅館経営者の「クリーニング業者の重油価格はすでに40%超上昇しており、今後の値上げだけでなく燃料供給不足の可能性についても懸念している」という発言を伝えています。
業界全体に広がる「コスト吸収限界」の現場感覚
リネンサプライ・クリーニング業界では、燃料費に加えて、洗剤・包装資材・ハンガー、車両費、最低賃金引き上げによる人件費の同時上昇が利益率を圧迫しており、複数のコスト要因が重なって経営体力を奪う構造になっています(日本M&Aセンター業界レポート、2025年12月)。
「ワイシャツで200円を超えたあたりから客足が鈍くなった」
「客離れを懸念して値上げが一部しかできない」
クリーニング店の2024年度業績では、減益が3割超、赤字が2割を占め、全体の半数超が業績悪化。BtoB契約の多くが中長期固定単価のため、急激なコスト上昇を完全には吸収しきれていません。
業界構造上の課題として、事業者の8割以上が営業30年以上、経営者の70歳以上が5割超、後継者不在が7割超(厚生労働省「クリーニング業の実態と経営改善の方策」)という人的基盤の脆弱性も無視できません。2025年1〜9月のクリーニング店倒産・休廃業は合計52件、ホテル・旅館の主要パートナーであるリネンサプライ事業者の事業継続リスクが急速に顕在化しています。
クリーニング業者の価格転嫁要求とホテル側の負担
これらの中間処理コストの増大は、ホテル・旅館に対するリネンのリース料金およびクリーニング委託単価の引き上げ要求として波及しており、宿泊業のサプライチェーン全体における構造的なボトルネックとなっています。「カジュアル化」「資材高」「節約志向」の三重苦に加え、ホルムズ海峡危機による燃料急騰が直撃した2026年は、業界の構造的転換点となる可能性が高まっています。
3. アメニティ(ナフサ由来製品)の供給制約
カミソリやヘアブラシ、歯ブラシなど、宿泊客に提供されるプラスチック製アメニティの多くはナフサ由来の樹脂から製造されています。長崎・矢太樓の山本専務執行役員は「ナフサ由来商品については現時点で価格はまだ上がっていないが、中東情勢の影響で今後より速いペースで価格転嫁が進むのではないか」と懸念を示しています。
業務用アメニティの海外調達依存:実態
日本の業務用アメニティ市場は、長年にわたり中国を中心とした海外生産への依存度が高い構造にあります。ホテルアメニティ専門商社の出荷案内では、「国内産の歯ブラシ・セット商品の袋詰めは3月末、カミソリの袋加工は4月中旬にメーカーが注文を締め切る」「在庫切れ次第出荷停止」「海外産歯ブラシは在庫を常備しているため代替品として案内」というオペレーション実態が示されており、量産・低価格帯のアメニティは海外生産品が国内供給を支える構造になっています。
世界のホテルアメニティ市場規模は2025年237億ドルから2026年264.7億ドルへ拡大(CAGR11.7%)と予測されており(市場調査レポート、2026年2月)、グローバル需要が急増する局面での供給制約が、日本の調達コストに直接跳ね返る構造です。
海外でも「ナフサ不足」:代替調達先の制約
従来の発想では「国内で調達できなければ海外品で代替」という選択肢がありましたが、2026年のホルムズ海峡危機は海外供給網も同時に直撃しています。
- 中東拠点からのフォース・マジュール宣言:サウジアラビア、カタール、UAEに所在するエチレングリコール・ポリエチレン・メタノール等の生産拠点で、不可抗力条項の適用による日本向け供給停止が相次いで宣言されています
- 欧州・北東アジアの石化設備の閉鎖加速:英調査会社Wood Mackenzieの分析では、慢性的な収益悪化に苦しんでいた欧州および北東アジアの古い石油化学設備にとって、今回の危機が「最後の一撃」になる可能性が指摘されています
- 樹脂・建材メーカーの供給制限:建材・樹脂メーカーのフクビ化学工業は、ナフサ供給不足を理由に2026年3月26日付で全製品の供給制限を発表。日本ペイントは建築用シンナーを約75%値上げ、カネカは住宅用断熱材を40%引き上げており、樹脂供給網全体が逼迫しています
- 製造業の3割に「調達リスク」:帝国データバンクのナフサ・サプライチェーン分析(2026年4月17日)では、ナフサ由来製品の調達リスクを抱える製造業は全国約4万7,000社、集計可能な製造業全体の約3割に上ります
つまり、宿泊施設が「中国製の安価な歯ブラシで代替する」という従来の調達戦略そのものが、原料樹脂の段階で世界規模のボトルネックに直面しているのが2026年の実態です。
調達コスト増と脱ナフサへのシフト
歯ブラシやカミソリといったアメニティの安価な海外調達モデルは構造的な見直しを迫られています。アメニティの値上げは通常半年に一度ですが、地政学リスクの織り込みにより、より頻繁な価格改定サイクルへの移行が現実味を帯びています。これに伴い、以下の構造転換が進行しています。
- 「ジャスト・イン・ケース」型在庫管理への移行:地政学リスクを前提とした安全在庫の積み増し
- 素材転換:価格差が縮小した竹・木材・バイオマスプラスチック素材への切替
- 水平リサイクル網の構築:使用済みプラスチックの国内循環網が経済的合理性を持つフェーズへ
4. 航空業界:燃油サーチャージの過去最大級の引き上げ
旅行者の移動手段である航空インフラにおいて、ジェット燃料の価格高騰が直接的な足かせとなっています。
シンガポールケロシン市況の異常高騰
JAL・ANAの燃油サーチャージは、シンガポール市場で取引されるケロシン価格と為替レートの直近2カ月平均値をもとに2カ月ごとに改定されます。2026年2〜3月のシンガポールケロシン市況2カ月平均は1バレルあたり146.99米ドル、為替平均1ドル156.99円を乗じた円貨換算額は23,076円に達しました(JAL公式発表、2026年4月20日)。
この水準は従来の適用条件表の上限ゾーンを突破しており、JALはゾーンPからRまでを新設して対応する異例の措置を取っています。さらに、政府の中東情勢を踏まえた緊急的激変緩和措置の補助を反映した上で、5月発券分はゾーンQ(22,000円基準)が適用されています。
欧米路線:従来比約7割の引き上げ
| 路線(日本発・片道) | 4〜5月発券分 | 5月以降発券分(ANA) | 5月以降発券分(JAL) |
|---|---|---|---|
| 欧州・北米 | 3万円前後 | 55,000円 | 50,000円 |
| 韓国 | 3,000円台 | 6,500円 | 5,900円 |
出典:日本経済新聞(2026年4月1日)、JALプレスリリース(2026年4月20日)
家族4人で欧米を往復する場合、ANAの燃油サーチャージだけで約44万円(55,000円×8区間)に達します。レジャー目的の旅行需要を直接的に抑制するマクロ経済的要因として機能しています。
旅行会社の現場:駆け込み発券とキャンセルの同時進行
2026年4月20日のJAL・ANA同時発表(5月発券分から適用)を受けて、旅行会社の現場では「駆け込み発券」と「先の予約キャンセル」が同時に進行するという異例の事態が発生しました。
福岡・久留米市の旅行会社「西日本旅行」では、先の日程分の海外旅行予約の約9割がキャンセルとなり、その内容も「遠方のみならず、近場の韓国旅行を含めて、戦争という状況下で行き先を国内にスライドする動き」が中心と報じられています(FNNプライムオンライン、2026年4月27日)。一方で、4月30日までに発券すれば旧サーチャージが適用されることから、駆け込みの発券問い合わせが急増し、店頭は対応に追われました。
4月末までに発券:29,000円 × 4区間 = 約11万6,000円
5月以降に発券:56,000円 × 4区間 = 約22万4,000円
差額は約10万8,000円。家族4人なら約21万6,000円の差が発生します。
大手旅行会社によれば、2026年ゴールデンウィーク(最大12連休)の旅行者数は国内・海外ともに前年より増加していますが、夏休み以降の海外旅行については「行きたくても行けない」価格帯への突入が現実化しており、福岡空港で取材を受けた利用者は「5月から燃油サーチャージが2倍になるんだったら、家族に会いに行けない」と困惑を口にしています。
注意すべき点として、燃油サーチャージは「搭乗日」ではなく「発券日(決済完了日)」が基準になるため、5月中に座席「予約」を確保していても、決済を後回しにして発券が6月以降に持ち越された場合は、新基準のサーチャージが適用されます。マイル特典航空券も有償チケットと同額が請求されるため、家計および企業の出張コスト全般に直接影響します。
制度的限界と国内線への波及
現行の燃油サーチャージ制度は、JAL・ANAともに従来の上限値に達しており、制度自体の改定議論が始まっています。さらにJALは、これまで国際線にのみ適用してきた燃油サーチャージを2027年4月から国内線にも導入する計画を持ち、スカイマーク等の中堅各社も国内線への適用を検討しています(日本経済新聞、2026年4月1日)。
SAF(持続可能な航空燃料)への構造転換
この価格変動リスクと供給不安を背景に、航空業界では化石燃料依存からの脱却が急務となっています。日本政府は2030年までに本邦エアラインの燃料使用量の10%(約172万kL)をSAFに置き換える目標を設定し、経済産業省・国土交通省合同の「SAF官民協議会」を設置。GX経済移行債を活用した製造設備投資支援(総額3,368億円規模)と、戦略分野国内生産促進税制によるSAF生産量に応じた税制措置を進めています。
SAFの主原料は廃食油などの非ナフサ由来原料であり、原油市況に依存しないエネルギー安全保障上の代替手段として位置付けられています。一方で、世界的なSAF需要拡大により廃食油の供給不足が課題となっており、原料確保のサプライチェーン構築が急務です。
5. 出国税引き上げと旅行需要への複合的影響
旅行コストへの影響は、燃料高騰だけにとどまりません。2026年7月1日以降の出国から、国際観光旅客税(出国税)が現行の1,000円から3,000円へ3倍に引き上げられることが税制改正大綱で明記されています(NHK・日本経済新聞報道)。家族4人の海外旅行では年間8,000円の負担増、月1回出張の出張者は年間24,000円の負担増となります。
さらに、JTBの2026年訪日旅行市場トレンド予測では、「他国と比べて日本の旅行コスト上昇率が大きいことから、欧米市場では2026年にかけて旅行需要の伸びが鈍化する兆し」が指摘されており、燃油サーチャージ・出国税・宿泊コストの三重高がインバウンド需要にも構造的影響を及ぼしつつあります。
エビデンスソース(一次情報・専門メディア)
- 帝国データバンク「燃料費の高騰が企業に与える影響度調査」(2026年3月18日公表)
- 帝国データバンク「銭湯業界 業績動向調査」(2026年4月)
- 帝国データバンク「『ナフサ関連製品』サプライチェーン動向分析調査」(2026年4月17日)
- 帝国データバンク「クリーニング店の倒産・休廃業解散動向」(2025年10月)
- 厚生労働省「クリーニング業の実態と経営改善の方策」
- 観光経済新聞「燃油価格の急騰、旅館で大きな影響 ボイラー燃料やリネン類の洗濯・乾燥で消費」(2026年4月3日)
- KTNテレビ長崎「燃料高騰…ホテル業界にも影響 ボイラーに使う重油やアメニティ、食料品も」(2026年4月15日)
- チャイナネット日本語版「日本の温泉業界、燃料不足で苦境に」(2026年4月16日)
- 日本経済新聞「ANA・JAL、国際線の燃油サーチャージ6月引き上げ 日本発最大2倍」(2026年4月1日)
- JALプレスリリース「JAL/JTA国際線『燃油特別付加運賃』の適用額を改定(2026年5月〜6月発券分)」(2026年4月20日)
- FNNプライムオンライン / TNCニュース「海外旅行が"高嶺の花"に 旅行会社でキャンセル相次ぐ」(2026年4月27日)
- 公明党 谷口睦生「『ナフサ危機』住宅資材値上げ、受注停止も」(2026年4月15日)
- 国土交通省「持続可能な航空燃料(SAF)の導入促進に向けた官民協議会」資料
- 経済産業省 資源エネルギー庁「2030年における持続可能な航空燃料(SAF)の供給目標量の在り方」(2024年9月)
- JTBグループ「2026年(1月〜12月)の訪日旅行市場トレンド予測」(2026年1月8日)
- 政府税制改正大綱「国際観光旅客税(出国税)の改正方針」(2025年12月)
- 日本M&Aセンター「リネンサプライ・クリーニング業界 業界レポート」(2025年12月)


