「アジアを奔走し、パレットの概念を書き換えた25年。その全軌跡を語る」
【編集部注】 物流の主役でありながら、語られることの少なかった「プラスチックパレット」の世界。その裏側には、IT業界から転身し、中国で「人質」同然の生活を送りながら、世界のサプライチェーンを支えてきた一人の男の闘いがありました。プラスチックパレット株式会社 代表・小池昌宏。彼の歩みは、そのまま日本物流の変遷と、アジア経済の熱狂の記録でもあります。
第1部:原点――「責任」の重さを知った学生時代とSEの挫折
――本日はよろしくお願いいたします。小池さんのキャリアを拝見すると、北欧文学からSE、そしてパレットと、一見すると繋がりがないように見えます。ご自身ではどう捉えていますか?
小池: よろしくお願いします。そうですね、一見バラバラに見えますが、自分の中ではすべて「ロジック」と「責任」というキーワードで繋がっています。
私の原点は東海大学でのイベント企画活動です。学園祭の企画局長として、avex本社へプレゼンに行ったり、音楽レーベルと出演交渉をしたり。毎晩、大学のPC室が閉まるまで一人でレジュメを作っていました。誰にも頼れない中で、「自分が決めたことを最後までやり遂げる」という孤独な責任感。これが私のビジネスの土台になっています。
――その後、一度はITの世界(SE)に入られていますね。
小池: はい。C言語やJavaを使って制御系プログラミングに携わりました。コードの世界は論理的で楽しかったのですが、一日中モニターを見続ける生活が、どうしても自分の「現場に出たい」というエネルギーと合わなかった。1年で退職し、もっと手触り感のある「機械と現場」の世界を求めてアルテックへ転職したんです。
第2部:パレットへの覚醒――赤字部署から「R-1パレット」の誕生
――そこで「パレット」と出会うわけですね。
小池: 配属されたリサイクルプロダクツ事業部は、毎年赤字で社内でも見捨てられたような部署でした。生産能力はあるのに、誰も売ってこないから在庫の山。でも、幼い頃に町工場で育った私には、そのリサイクルパレットが「宝の山」に見えたんです。
――誰もやりたがらない環境が、逆にチャンスだった?
小池: その通りです。上司も不在、ルールもない。「好きにやっていい」という状況でした。私は北海道から沖縄まで全国の木製パレットメーカーや商社を飛び込みで回り、独自の代理店網をゼロから構築しました。そこで「安くて強いリサイクルパレット」を武器に、木製からの切り替えを強烈にプッシュしたんです。
この時、開発・販売に携わったのが「R-1パレット」です。20年以上経った今でもベストセラーとして現場で現役なのは、営業の執念と現場のニーズが合致した証拠だと思っています。
第2.5部:超円高を逆手に取る――韓国メーカーとの「直結」ルート開拓
――アルテック時代を経て、その後、韓国メーカーからの輸入事業を本格化されますね。当時はどのような状況だったのでしょうか?
小池: 2009年頃ですね。世界はリーマンショックの直後で、日本経済も冷え込んでいました。しかし、そこには「歴史的な超円高」という、輸入ビジネスにおける最強の追い風が吹いていたんです。1ドル80円前後、そして韓国ウォンに対しても円が圧倒的に強い。
一方で、私のWebサイトには連日「もっとコストを抑えたい」「国内メーカーではサイズが合わない」という切実な問い合わせが届いていました。国内の供給網だけでは限界がある。そう確信した私は、迷わず海を越えました。
――コネクションも何もない状態から、どうやってルートを築いたのですか?
小池: 最初はJETRO(日本貿易振興機構)のサイトを片っ端から調べ上げました。そこで韓国最大手のNational Plastic社などの情報を掴み、直接コンタクトを取ったんです。商社を通せば中間マージンが発生し、お客様へのメリットが薄れる。だからこそ「直接取引(ダイレクト)」にこだわりました。
――言葉や文化の壁、契約のハードルも高かったのでは?
小池: もちろんです。でも、SE時代に培った「論理的なプレゼン資料」と、台湾での修行時代に学んだ「海外メーカーとの渡り合い方」が武器になりました。National Plastic社だけでなく、Gold Line社といった主要メーカーのトップと会い、こちらの販売戦略を熱っぽく語りました。
彼らにとっても日本市場は魅力的ですが、攻略が難しい。そこに「Webで集客でき、技術的な仕様も理解している私」という存在は、最高のパートナーに見えたはずです。
――この韓国ルートが、今の「激安・短納期」の基盤になったのですね。
小池: はい。この時、商社を介さずにメーカーと直接繋がった経験が、現在の私のアイデンティティになっています。今では、韓国のLOGISALLグループの日本販売事業をサポートするなど、より深い提携へと発展しています。
「良いものを、最短距離で、適正な価格で届ける」。このシンプルなロジックを実現するために、私は今もアジア中を飛び回っているんです。
第3部:台湾・中国での激闘――PSパレットと「10万人都市」の衝撃
――その後、拠点を海外へ、特に中国へと広げていかれます。特にソニー(SCE)のプロジェクトは伝説的ですね。
小池: 2011年、東日本大震災の混乱期でした。「PlayStationを運ぶ専用パレットを中国で作り、鴻海(FOXCONNなどの巨大工場へ納品してほしい」という依頼です。日本の大手メーカーが「リスクが高すぎる」と軒並み断った案件でした。
――それを、小池さんは引き受けた。
小池: 無謀だと言われました(笑)。でも、中国の政府系投資会社から資金を引き出すプレゼンに成功し、私は単身上海へ駐在しました。納品先の工場は従業員10万人規模の「小都市」です。空港並みの検問をくぐり、日本人パレットマンとして唯一、その中枢に入り込む日々。
――「人質」同然の生活だったとか。
小池: プロジェクトを完遂させるまで帰れない、という意味ではそうでしたね。中国の職人たちと怒鳴り合い、夜は酒を酌み交わして信頼を築く。一から設計した白いパレット「HONEYPALLET」の上にPlayStationが載り、世界へ出荷されるのを見た時、ようやく「一人前のパレット屋」になれたと確信しました。私は、世界で一番中国のパレット金型産地(台州市)に出入りした日本人だと自負しています。
第4部:デジタルと物理の融合――AI検索時代のサイト作り
――独立後、プラスチックパレット株式会社を立ち上げ、現在はWeb戦略でも業界をリードされています。
小池: SE時代の経験がここで活きています。今の時代、営業が足で稼ぐだけでは限界がある。代わりにWebサイトが24時間、世界中で営業してくれる仕組みを作りました。現在、特に意識しているのは「AI検索(SGEなど)への対応」です。
――AI検索対応、具体的にはどういうことでしょうか?
小池: 単に「パレット 安い」というワードを並べるのではなく、ユーザーの「1トンの荷物を積んで、自動倉庫に入れたいのだが、どのパレットが最適か?」という具体的な悩みに対して、AIが回答の引用元として選ぶような「質の高い専門情報」を構造化して掲載することです。情報の非対称性をなくし、正しい知識を現場に届けることが、私のデジタル戦略の核心です。
第5部:地方の危機とPPWR――これからの20年、私がすべきこと
――今、特に注力されているのが「地方の小口販売」と「環境規制」だとうかがいました。
小池: 日本の地方では、後継者不足で地元の資材商社が次々と廃業しています。10枚、20枚といった小口でパレットが欲しいエンドユーザー様が「どこに頼めばいいかわからない」という難民状態になっている。私はWebとネットワークを駆使して、四国、九州、東北などの拠点がない地域にも、プロの知見を添えて10枚から直接届ける体制を強化しています。
――さらに欧州の規制「PPWR」への対応も。
小池: PPWR(包装廃棄物規則)は、日本企業にとっても無視できない巨大な壁です。私たちは、日本産の高品質な再生プラスチック原料をアジアの提携工場へ「逆還流」させ、国際基準をクリアした環境対応パレットとして再生産するサイクルを構築しました。
リサイクルは、私の目には一つの「循環アルゴリズム」として見えています。環境に良いだけでなく、ビジネスとして合理的なシステムを設計すること。それがSE出身の私の使命です。
結びに:次世代のスタンダードを設計する
――最後に、読者やお客様へメッセージをお願いします。
小池: 私の25年は、常に現場とロジックの間にありました。机上の空論ではなく、台湾の工場で油にまみれ、中国の金型村で職人と汗を流し、常に現場でパレットの耐久性を検証してきた。その「泥臭い経験」こそが、私の提案の根拠です。
「たかがパレット、されどパレット」。 後継者不足に悩む地方の工場長から、国際規制に挑むグローバル企業の担当者まで。私はパレットという一枚の板を通して、皆様の物流を、ひいては日本の未来を足元から支えたい。どんな難題でも、ぜひ私にぶつけてください。
小池 昌宏(Koike Masahiro) プラスチックパレット株式会社 代表取締役。 SE、機械設計、海外駐在を経て独立。日本で最も多くのアジアパレット工場を視察した専門家として、Webとリアルを融合させた物流コンサルティングを展開。
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